【「事件の概要①】黄色くした髪、黒に戻しなさい
トラック運転手Aさんは、それまで長めの髪型をしていたが、その日、短めで派手な黄色の目立つ髪の色に染めていた。その風貌が大切な取引先に悪い印象を与えかねないと懸念して、課長が指導することになった。「先日、M社から電話があり、髪の色を染めた人がいるがあまり好ましくないとの連絡があった」と話した。しかし、実際には、課長が髪の色を元に戻させる方便として行ったもので、M社から苦情の申し出があったわけではなかった。
それに対して、Aさんは、髪の色のことで会社が干渉するのはおかしい、M社にも髪を染めた人がいるし、他の会社にも沢山いる、構内ではヘルメットを被っており、あまり見えないから良いではないか、などと反論した。
課長は、他杜は他社、うちとは関係ない、運転手は会社を代表する営業マンとしての立場が大きく、構内でヘルメットを被って見えないから良いというわけにはいかない、一般道では丸見えである、近日中に元の色に戻してくれ、と改めて要請した。
Aさんは、自然に元に戻すからいいではないか、と応酬したが、課長は、近日中に元に戻すよう強く求めた。
その後、Aさんの髪の色に変化が見えなかったため、課長は、二、三日内に元に戻すよう、不本意だろうからも散髪代は半額援助する、全額援助してもよい、と申し入れた。
これに対して、Aさんは、組合の話では髪の色でクビになることはないと聞いた、クビになるなら元に戻すが、クビにならないのなら元に戻さない、お金の問題ではない、髪を染めてから女性にもてるようになった、友達もみんな前は暗い感じだったが今は明るく見えると言ってくれる、と髪の色を変えるつもりのないことを強調した。
専務と課長は、Aさん父に事情を説明して、翻意を促した。父は、『「いい年になって髪を染めるな」と言ったが、『自然に元に戻す』と言っており、自分からも元に戻すようAに言っておく。」との返答だった。課長は、Aさんに、「くどいようだが最後の頼みだ。髪の色を元に戻して欲しい。」と話した。Aさんは、「クビになるなら戻すけど、クビにならないのなら元には戻さない。」と相変わらずの返答をした。
このため、専務は、課長の再三にわたる指導を無視したAさんの態度は社内の秩序を乱すものであり、社外に対しても悪影響が出ると考え、自分の方で直接会社の方針を説明し、始末書の提出方を求める必要があると判断した。
専務は、Aさんに髪の色を黒く染め始末書を出すよう命じた上、始末書の書き方については後日説明すると申し渡した。Aさんは、髪の色がそんなに悪いことかと反論したが、専務は、「会社の方針だから従ってもらわなければ困る。」と突き放した。
その後、専務は、社長と相談の上、最悪の場合には諭旨解雇もやむを得ないとの方針を確認した。
Aさんは、その後、黒色の白髪染めを使って、自分で少し茶色の残る程度に髪を黒く染め直した。しかし、すべてを黒にするのは抵抗があったため、少し茶色が残る程度に黒く染めた。
しかし、専務は、髪の色がほとんど変わっていないとして、明日仕事を休んで理髪店に行き髪を黒く染めて来るよう、お金がなければ会社で出す、会社の方針に従えなければ話が大きくなる、始末書も書くように、と命じた。
これに対して、Aさんは、お金の問題ではない、髪の色は自分なりに黒く染めたがこれ以上染める気はない、始末書を提出すると後々クビになると組合に言われたので提出しない、と返答した。このため、専務は、その場で「残念ですが、就業規則に基づき論旨解雇とします。」、「文書は後でこちらから送ります。」と解雇を通告した。
【裁判所の判断】
このような解雇にたして、裁判所はつぎのように判示している。 <<一般に、企業は、企業内秩序を維持・確保するため、労働者の動静を把握する必要に迫られる場合のあることは当然であり、このような場合、企業としては労働者に必要な規制、指示、命令等を行うことが許されるというべきである。しかしながら、このようにいうことは、労働者が企業の一般的支配に服することを意味するものではなく、企業に与えられた秩序維持の権限は、自ずとその本質に伴う限界がある-といわなければならない。特に、労働者の髪の色・型、容姿、服装などといった人の人格や自由に関する事柄について、企業が企業秩序の維持を名目に労働者の自由を制限しようとする場合、その制限行為は無制限に許されるものではなく、企業の円滑な運営上必要かつ合理的な範囲内にとどまるものというべく、具体的な制限行為の内容は、制限の必要性、合理性、手段方法としての相当性を欠くことのないよう一特段の配慮が要請されるものと解するのが相当である。>>
今回は、学校の事件ではなく企業での事件を紹介することにしよう。
はじめに紹介するのは、トラック運転手の「茶髪」が問題とされ、使用者は、再三の注意にもかかわらず髪を染め戻さないことを理由にAさんを論旨解雇したという事件である。それに対して、裁判所は、この解雇は、使用者の権利濫用であり解雇は無効であるとして、次のように判示している。<<労働者の髪の色・型、容姿、服装などといった人の人格や自由に関する事柄について、企業が企業秩序の維持を名目に労働者の自由を制限しようとする場合、その制限行為は無制限に許されるものではなく、企業の円滑な運営上必要かつ合理的な範囲内にとどまるものというべく、具体的な制限行為の内容は、制限の必要性、合理性、手段方法としての相当性を欠くことのないよう特段の配慮が要請される>>としている。そして、裁判所は、課長の指示について、取引先から好ましくないとの連絡がなく作りごととしてなされたこと等から、対外的な影響よりも社内秩序維持を念頭に発言されたと推測されること、及び会社側の態度は、労働者の人格や自由への制限措置について、その合理性、相当性に関する検討を加えた上でなされたものとは認め難く、Aさんから始末書をとることに眼目があったと推認されること等から、頭髪を黄色に染めたこと自体が会社の就業規則上直ちに譴責事由に該当するわけではなく、上司の説得に対するAさんの反抗的態度も、必ずしもAさんにのみ責められる点があったということはできず、始末書の不提出も、「社内秩序を乱した」行為に該当すると即断することができないとして、解雇の意思表示は解雇権の濫用として無効であると判断している。(福岡地小倉支決一九九七年一二月二五日『労働判例』七三二号)
【事件の概要②】ひげを剃らないなら
ハイヤー運転手Bさんは、ヨーロッパ旅行から口ひげをたくわえて帰国したが、注意されそり落したが、再び口ひげをはやしたので「髭はまずいからそりなさい」と注意されると「東南アジアの方に旅行に行くので、旅行に行っている間は、はやしていたい。帰って来たらすぐそる」と答え帰国後そり落した。
その後、再度、口ひげをはやしたので営業所長から「お前は髭のない方が男前だ」「みっともないからそった方がいい」と注意され、しばらくして、そり落した。
一年後、また、口ひげをはやしたので、営業所長や専務などから一〇日に一回ぐらいで「ひげはみっともないからそれよ」「ひげがない方が男前だ」等と注意を受けたが、無視してハイヤーに乗車勤務していたので、専務から「髭をそらないのか」「そらないなら懲戒にかけるぞ」言われてが、Aさんは、「髭をそる気はありません」「髭をそらないからといって懲戒にかけられるのか。できるんだったらやりなさい」と応答した。その後も、営業所長や専務が、「ホテルの従業員などサービス業の人はみんな髭なんかはやしていない」等と再三にわたり説得を重ねたが、「髭は身体の一部だから会社に強制されることはない」「髭をはやすのは自由だ」等とそらなかった。
さらに、明番懇談会で、他の運転手から 「お客さんからも原告の髭が指摘されている。なぜ会社は放置しているのか。管理職の意見が聞きたい」との発言があり、会社は、「会社も放置しているわけではない。何度も説得したり注意したり指示を与えるけれども一向に聞いてくれないので困っている。今後も厳重に注意する」と答えた。
また、明番懇談会で前回と同旨の発言がなされたので、会社も同人に対し顧客の誰からどのような指摘があったのか具体的な事実を明確にするように問い質したが、同人は、お客に迷惑がかかるからと言って被告会社の右調査には何ら答えなかった。
一方、会社は、従業員の間においても原告の口ひげが問題視されるに及んだため、これを放置しておくことは、従業員に対するみだしなみの維持の必要上不都合を来たすし、又、髭をはやす者が増加してこれが会社の業務遂行上悪影響を及ぼすことを懸念して、何らかの措置をとる必要があると判断するに至った。そして、この際ハイヤーに乗車勤務させないこととすれば、原告も反省しその口ひげをそるであろうと考え、「この次の乗務の時までに必ず口ひげをそるように」との業務命令を口頭で原告に告知した。
しかし、原告は、口ひげをそらないで出社したため、会社は、下車勤務命令を発した。これに対し、原告は「車に乗せないというのであれば、就業規則のどこに違反するのか。就業規則にもとずいてやってもらいたい」「お客さんに口ひげが不快感を与えると決めつけて対処することは問題だ」「頭がはげている人は嫌いだとか、顔つきがやくざみたいだから嫌いなんだということをお客さんが言ったらどうするのか」等と反論したが、被告会社は、「就業規則には関係がない」「口ひげは、お客さんに一不快感を与えるからよくない」等と答えたにとどまった。
下車勤務命令後、会社は、「上司の業務指示に従わず職場の秩序をみだし又はそのおそれがある」と判断して、就業規則にもともづき事業所へ立入ることを禁止する旨文書で通告した。
【裁判所の判断】
<<口ひげは、服装、頭髪等と同様元々個人の趣味・噌好に属する事柄であり、本来的には各人の自由である。しかしながら、その自由は、あくまでも一個人としての私生活上の自由であるにすぎず、労働契約の場においては、契約上の規制を受けることもあり得るのであり、企業に対して無制約な自由となるものではない。すなわち、従業員は、労働契約を締結して企業に雇用されることに伴い、労働契約に定められた労働条件を遵守し、同一その義務を履行することは当然である。従って、企業が、企業経告の必要上から容姿、口ひげ、服装、頭髪等に関して合理的な規律を定めた場合(企業は、企業の存立と事業の円滑かつ健全一な遂行を図り、職場規律を維持確立するために必要な諸事項を規制をもって定め、あるいは時宜に応じて従業員に対し具体的な指示・命令をすることができるのであるから、口ひげ、服装、頭髪等に関しても企業経営上必要な規律を制定することができるのは明らかである。ことにハイヤー営業のように多分に人の心情に依存する要素が重要な意味をもっサービス提供を本旨とする業務においては、従業員の服装、みだしなみ、言行等が企業の信用、品格保持に深甚な関係を有するから、他の業種に比して一層の規制が謀せられるのはやむを得ないところであろう。しかしながら、この場合にあっても、企業は、労働契約により従業員を雇用しているとはいえ、これを一般的に支配できるものではないのであるから、右規律といえども労働契約の履行との関連性をはなれてなし得ないのはもとより、従業員の私生活上の自由を不必要に制約するものであってはならないこともまた当然である。) 、右規律は、労働条件の一となり、社会的・一般的に是認されるべき口ひげ、服装、頭髪等も労働契約上の規制を支け、従業員は、これに添った労務提供義務を負うこととなる。
原告に対する本件業務命は、「乗務員勤務要領」の規定にもとついてしたものであり、「乗務員勤務要領」は会社の作成した規則および詰規程の一に該当すると主張する。
「乗務員勤務安領」は、総務部がハイヤー運転手を教育・養成する目的で作成しこれを平素の到務上十分発揮することを指示して各営来所に配布したものである。
その、はしがきにあるようにハイヤー運転手として心得ておかね叫ならない具体的細部について特に顧客L 対するサービス要領の基本を示したもで、
その他形式・内容等におγても規則としての形式を欠き、改廃にJ いても特段の手続をふむことなく必要な都度適宜なされていたようである。そして、また「乗務員勤務要領」は、被告会社とその従業員らが作成につき互いに協議し、合意に達してこれを作成したことを認める証拠もない。
以上の事実によれば、被告会社が、原告に対し本件業務命令を発した根拠とする右「乗務員勤務要領」は、いずれの点よりみてもこれを会社の定める規則又は諸規程と解することは困難である。
「乗務員到務要領」の「車両の手入れ及び服装」の項の「平素における乗務員自身のみだ
しなみ」の箇所には“ヒゲをそる”との固条があることから、口ひげをはやしてハイヤーに乗車勤務することは許されな
いと主張する。
会社がハイヤー運転手や原告に対し口ひげを規制したのは、口ひげが 「みっともなく、お客に不快感を与える」からであり、「就業規則には関係ない」ことを言明しているのであって、そうであるとすれば、被告会社は、右「乗務員勤務要領」の「ヒゲをそる」旨の箇条により従業員の口ひげをも一般的かっ一律に規制し得ると考えていたか否か甚だ疑問であるといわざるを得ない。むしろ、被告会社は、ハイヤー運転手に端正で清潔な服装・頭髪あるいはみだしなみを要求し、顧客に快適なサービスの提供をするように指導していたのであって、そのなかで「ヒゲをそること」とは、第一義的には右趣旨に反する不快感を伴う「無精ひげ」とか「異様、奇異なひげ」を指しているものと解するのが相当である。
従って、「乗務員勤務要領」にもと守ついて原告の口ひげを規制すベく本件業務命令を発したとする被告会社の主張は理前由がない。
もう一つの事件は、口ひげを剃れという業務命令に従わなかったことを理由に使用者から就労を拒否されたハイヤー運転手が「ひげを剃ってハイヤーに乗務する労働契約上の義務のないこと」の確認請求をしたという事件である。裁判所はその確認を認容した。その理由として、使用者が業務命令の根拠とした「乗務員勤務要領」に書かれている「ヒゲをそる」という意味は、不快感を伴う「無精ひげ」や「異様、奇異なひげ」は「そる」という意味であって、この場合「乗務員勤務要領」は業務命令の根拠とならなとし、原告が口ひげをはやしてハイヤーに乗車勤務したことにより、会社の円滑かつ健全な企業経営が阻害される現実的な危険が生じていたと認めることは困難であると判断している。また裁判所は、一般論として「企業が、企業経営の必要上から容姿、口ひげ、服装、頭髪等に関して合理的な規律を定め た場合……右規律は労働条件の一となり、社会的・一般的に是認されるべき口ひげ、服装、頭髪等も労働契約上の規制を受け、従業員は、これに添った労務提供義務を負う」とも判示している。イースタン・エアポートモータース事件東京地判一九八〇・一二・一五労働判例三五四号
生徒の自己決定権を認めるか
一般的に考えれば、他人の権利を侵害したり、利益を不当の犯さなければ生徒の自己決定権を尊重すべきであろう。人間の尊厳、独立性の尊重ということから、誰しも、理性的で、責任感がある人間であれば、自分に関することは、自分で処理すベきだし、自己決定の自由が保障され、発揮されてはじめて、個性豊かな人格の発達が期待できるのでああろう。
自己決定のは、さまざまな選択の自由がともなう。選択の自由が広く認められ、よりよい選択がなされることが必要である。その際、何が最良の選択かについては、客観的な基準が存在しない場合には、どうしても、自己の利益が判断基準になり、自分こそが最善の判断者であると考えてしまう。したがって、そこでは、本人に判断能力が備っているどうかが問われ、備わっていれば、まわりから選択を強制したり、選択の幅を制限することを認めるべきではない。
したがって、生徒たちの自己選択権を問うとき判断能力が備わっているかが問われ、備わっているか考えるか、不十分かで判断が分岐する。まだ、中学・高校生発達の途上であり、生徒自身に判断を任せたのでは、結果として、好ましくないばかりか、無法と混乱が生ずるばかりであり、したがって、教化的、パターナリスティク(父権的)な指導が必要である。選択の自由を与えると、往々にして誤ったことや、不当な行動がなされるので、そのため行動の基準を示し善導的措置をとるのが、教師、保護者の役割であると考えることが多い。
「しかし、自己決定という考え方は、まさに右のような考え方に対する批判である。選択の自由は、誤りや混乱に陥ることをおそれず、またたとえ誤っても、その経験を生かすという考え方にたつものである。その意味で、自己決定権は、誤りをおかす自由を前提としているともいえる。」という指摘がある。
また、自己決定とはいうものの、現実には、変わり者、奇矯な者、へそ曲りの者に自由を与える結果になり、何ら積極的な意味はないのではないか、という考えもあるし、自己決定権は、エクセントリックな者の擁護になるのではないかとも考えもある。しかし、「そうした主張の底にあるのは、やはり基本的な自由の問題であり、エクセントリックな主張であるがゆえに、これを封ずべきだとすれば、それは、自由そのものを封ずることにになる。エクセソトリックな者に自由を否定しようとする際におきるのは、何をエクセントリックという問題である。「逸脱」(deviance) というのは、社会が、「逸脱」というラベルをはることによって生まれるものである。そうだとすれば、逸脱行動であるとか、エクセントリックだとして、これを抑圧することには一層問題がある。他人への危害がおよばないかぎり、自己決定に委ねるべきである。」とも指摘する。
そして、エクセントリックな行動を許容することは、一時的な流行や流れに従うものを肯定し時流に左右された原則のない考え方であるという見方もある「しかし、エクセントリックな行動を不利益に扱わないということは、それを正しいとして是認することではない。正しいかどうかは、個人の判断にまかせ、ただ、変わっているとか、普通とちがうからといって、これを封じたりしないという、寛容ないし相対主義の考え方に立つものにすぎない。」とも指摘している。
茶髪・ひげの自己決定権