道徳教育と躾(しつけ)

子どもたちのモラル低下がたびたび指摘され、日常的にも身近で若者の「無軌道さ」を目にするとき、子どもたちのモラルが危惧されます。そのようの中で道徳教育の教科化を期待する人も多いでしょう。しかし、どうでしょうか。子どもたちの逸脱した行動は、「物質的豊かさと精神的貧困」、「将来が見えない」「仲間とかかわれない」、「他の人を思いやれず自分とは無関係と考える」などがあるのではいわれています。これらは、一見モラルが欠落しているように見えますが、すべて、モラルの問題として処することはできません。このような課題は道徳教育を教科化することで解決するのでしょうか。

基本的に子どもたちに道徳を教えるのは、親や地域社会でしょう。しかし、今日、家庭も地域社会も、その教育力は大きく衰退しています。かっては、躾(しつけ)は家庭の役割でした。しかし家庭の教育力が後退し、1980年代から学校で基本的生活習慣として指導するようになりましたが、学校では、一人ひとりの個性をふまえてきめ細かい指導はできませんから集団として校則を遵守させるという方法になります。

教師は教科指導については、その専門性が保障されていますが、道徳教育は専門家ではありません。乱暴な言い方をあえてすれば教師と父母は道徳ついては「同等」といえるでしょう。したがって、道徳教育は、学校に「お任せ」するのではなく父母も関わる責任があります。しかし、現実には難しい状況ですから、たとえば、学期一度ぐらい父母が道徳教育について教師と意見交換などをし、父母も道徳教育に関わる要があるでしょう。