連帯責任という集団主義 柿沼昌芳
今日、部活動、とくに野球部は甲子園全国大会によって、学校体質の形成に大きく影響しているものとして一つである「連帯責任」という集団主義について考えてみたい。
ある学生が次のように書いている。
*私の地元沖縄では、数年前、甲子園に出場する予定の「沖縄水産高校野球部」で先輩
の後輩に対する暴行事件が発覚し、連帯責任として、全試合出場停止を決定した。私は、小学校の頃、吹奏楽部の部長をしていた。ある日、数人の部員が遅くまで学校に残っていた罰として、私がいなかったにもかかわらず顧問の先生にわたくし一人がピンタされた。わたくしは、連帯責任をとらせるという方法では、真の反省は生まれてこないのではないかと思う。逆に生徒聞で、事を起こした当事者への憎しみが生まれ、プレッシャーをかけるという行為に走ってしまう。まさに教師が楽をするための指導放棄としかおもえない。
このように、高校野球に限らず部活動、さらに学校教育のさまざまな場面でこの連帯責任は指導の一手段になっている。そのことをまず見ることにする。
*小学校低学年の頃、クラスで味噌汁を作るということになった。当然クラスはいくつかの班に分かれた。先生は「一番机の上を片づけるのが遅かった班には洗いものをやってもらう」といった。結局、ぼくが机の上の筆箱をしまい忘れてしまったので、僕の班の全員が洗い物をするということになってしまった。その時の僕は他の班員に対する悪いことをしたなあという気持ちと、先生に対しての恨みの気持ちでいっぱいだった。
このような「連帯責任」によってわかる連帯は「 他人に迷惑をかけることになるから、しっかりやらなくては」といったような間違った意味での連帯ではないだろうか。
*私も今までよく体験してきたことだが、クラスが七、八の班に分かれて、デスカッシヨンをしたりするのは、受け身から自発の態度で授業に臨むことができ授業がよりよいものになることは確かであるしかし、連帯責任で罰が加えられることになると「みんなに迷惑をかけてしまった」というとてつもないの圧迫感をその人に与えるし、他の人には「あいつのせいでおれたちまで!」という気持ちにさせられる。つまり両者のお互いの監視を強めて逆に不信感を高めていくことになるだろう。江戸時代の五人組、旧日本軍のような体質は一刻も早く排除すべきである。
近代法の基本は行為の責任は個人に対してのみ問われるものである。連帯責任は法の精神にも反する。
このように連帯責任という「指導」は部活動だけではなく学校教育のさまざまな場面で利用されているが、その大きな要因は部活動にあるといえないだろうか。
今日、部活動、とくに野球部は甲子園全国大会によって、学校体質の形成に大きく影響しているものとして一つである「連帯責任」という集団主義について考えてみたい。
ある学生が次のように書いている。
*私の地元沖縄では、数年前、甲子園に出場する予定の「沖縄水産高校野球部」で先輩
の後輩に対する暴行事件が発覚し、連帯責任として、全試合出場停止を決定した。私は、小学校の頃、吹奏楽部の部長をしていた。ある日、数人の部員が遅くまで学校に残っていた罰として、私がいなかったにもかかわらず顧問の先生にわたくし一人がピンタされた。わたくしは、連帯責任をとらせるという方法では、真の反省は生まれてこないのではないかと思う。逆に生徒聞で、事を起こした当事者への憎しみが生まれ、プレッシャーをかけるという行為に走ってしまう。まさに教師が楽をするための指導放棄としかおもえない。
このように、高校野球に限らず部活動、さらに学校教育のさまざまな場面でこの連帯責任は指導の一手段になっている。そのことをまず見ることにする。
*小学校低学年の頃、クラスで味噌汁を作るということになった。当然クラスはいくつかの班に分かれた。先生は「一番机の上を片づけるのが遅かった班には洗いものをやってもらう」といった。結局、ぼくが机の上の筆箱をしまい忘れてしまったので、僕の班の全員が洗い物をするということになってしまった。その時の僕は他の班員に対する悪いことをしたなあという気持ちと、先生に対しての恨みの気持ちでいっぱいだった。
このような「連帯責任」によってわかる連帯は「 他人に迷惑をかけることになるから、しっかりやらなくては」といったような間違った意味での連帯ではないだろうか。
*私も今までよく体験してきたことだが、クラスが七、八の班に分かれて、デスカッシヨンをしたりするのは、受け身から自発の態度で授業に臨むことができ授業がよりよいものになることは確かであるしかし、連帯責任で罰が加えられることになると「みんなに迷惑をかけてしまった」というとてつもないの圧迫感をその人に与えるし、他の人には「あいつのせいでおれたちまで!」という気持ちにさせられる。つまり両者のお互いの監視を強めて逆に不信感を高めていくことになるだろう。江戸時代の五人組、旧日本軍のような体質は一刻も早く排除すべきである。
近代法の基本は行為の責任は個人に対してのみ問われるものである。連帯責任は法の精神にも反する。
このように連帯責任という「指導」は部活動だけではなく学校教育のさまざまな場面で利用されているが、その大きな要因は部活動にあるといえないだろうか。