私の最終学歴は大学院。

正直自分が大学院までいくとは夢にも思わなかった。


高校は進学校だけど、ビリから2番目を取ったこともあるし苦手科目は赤点だらけで、順位は頑張っても中くらい。

勉強はすごく苦手で、絵に逃げてた部分があった。


母からは高校受験の時から、

「うちにはお金がなくて貧乏だから、絶対国公立じゃないとダメ」

と言われ続け、絶対入れない点数だったのに、定員が割れて奇跡的に公立の進学校に入学した。


高校は女子高で、みんなとってもいい子で、いじめだらけだった中学時代しか知らなかった私にとって、別世界みたいなところだった。


高校では美術部でずっと絵を描いていて、

自然と美大を受ける前提になっていた。

普通科の高校だったから、本格的にデッサンをしたのは3年生になってから。

大学受験でも

「お金ないから絶対国公立じゃないとダメ」
「美術系で安定してる職業は先生だから、先生がいいと思う」

と言われていて、

国立大学の芸術系に進んで美術の先生になろうと大学を絞った。

でも、国立大学ってある程度頭が良くないと入れない。

デッサン力だけでは入れないのが国立大学だった。


結果的に私が受験したのは、

①第1志望 山形大学(教育学部芸術系)→落ちた

②滑り止め 私立の女子美術大学(美術の先生になるための科)→合格

③滑り止め 公立の秋田公立美術大学 中期→落ちた

④最後の滑り止め 
東北芸術工科大学 歴史遺産学科→第1志望が落ちて泣きながら自暴自棄で申し込みした。神社が好きだったのでなんとなく選んだ学科😂


結局私立しか受からなくて、しかも大学も神奈川県か実家がある山形県。

「神奈川は遠いから山形県にして欲しい」

夢を選ぶか親の言うことを選ぶか。


この時点で国公立の約束を守れなかった私は、かなり精神的に落ちていた。


もう親の言う通りにするしか無かった。
(極度の自己否定マンだったので、、)

それで唯一美術系ではない④の大学に進学することにした。

④の大学を受けたのは本当に受験日程最後の2月で、

アパートを決めたのも3月の終わりで、今思うとかなりギリギリだった。

不動産屋さんの慣れない内陸弁を聞きながら、内見しに行った日の夕焼けを未だに覚えてる。


このアパートに7年もお世話になるなんて、

しかも第1志望だった大学の大学院に入学できるなんて、

当時の私は思いもしなかったなあ。