※注意: 完全自己満ポエム
4/14/2014 プロフェッショナル・バレーボールプレーヤー
加藤陽一、2014黒鷲旗を最後に現役引退を発表

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この日がいつか必ず来ることはずっとずっと覚悟していました。
バレーのバの字も知らない私は、加藤陽一というバレーボール選手を偶然目にし、その後しばらくして導かれる様にイタリアに行き、そこで初めて生バレーボールを見て、加藤選手のアスリートとしての美しさに魅了されました。サンガイア発足のイベントで”再会”、日本復帰後から本格的に追っかけ暮らしが始まりました。

JT+つくばの全9シーズンで見なかった試合はせいぜい15試合くらいでしょうか。行けなかった場所の方が数え易い。天童1日、一関1日、雲仙・京都、兵庫、山口国体、JTの頃のサマーそして今年2月の福井・美山1日。いつものメンバーで、国体予選本戦、天皇杯予選、サマーリーグ、彼の出る試合を見に行く事が暮らしの一部でした。練習見学も何度となく行きましたよ、大学生に混ざって練習するのを体育館の隅から見る幸せ。世界一たくさん「動く加藤陽一」を見守ってきたという自負があります。回数が全てでないことは承知していますが、一番辛そうに見えた時期も「ここで終わる人では絶対ない!」と信じ、会場に足を運んで遠くから力づけてあげられたかなと思っています。

JT時代は話が出来てもせいぜい一言二言。少し長く話せるときは神様のご褒美だと思いました。深い話は中々できませんでしたから、伝えたい事はたびたび手紙にしました。バレーの技術・戦術「以外」の色々な事を出来るだけラブラブを散りばめずに書きました。時々厳しい事も書いたけれど「ちゃんと読んでますよ」と受け止めてくれました。加藤さんのことを勘違いしてる人もいるかもしれないけれど、人の話を真剣に聞いてくれる姿勢はその頃から変わりません。つくばに来てからは話す時間が自然と増えて、他愛ない話をする機会も増えました。

JT・プレミアリーグ最後の試合の翌日、函館空港での会話は今でも強く記憶に残っています。あのシーズンは途中から真っ赤なユニのリベロ出場。試合に出る加藤さんは嬉しかったけれど、アタックを打つ姿が見られず残念なシーズンでした。いつもシーズン終了後に「今年で現役を辞めちゃうんじゃないか」ってそんな発表を恐れながら暮らしていましたから、函館での一言には心が燃えました(あ、まだバレーを続けてくれるんだ!)と。ごく当たり前の一言だけれど、どれだけ安心した事か。

傍らみたら喧嘩両成敗の様に見えたJTの退団発表。次はどこに行くのか、気になりながらも大学観戦に力を注いで気を紛らわせていましたっけ。

そして、サンガイアに入団!サンガイア発足時からサポーターだった私、JT時代も加藤さんと「今日のサンガイアは・・・」って試合結果を教え合たったりしたこともありました。そのサンガイアについに加藤さんが~!加藤陽一@サンガイアでの5シーズンは毎回毎回楽しかったです。試合にでない事がほとんどなかったというだけでなく、加藤さんの頑張りがチームを動かす感覚が間違いなくあったから。完全に出なかった試合は数えるほど。そして試合に出なくても、練習をしている楽しそうな姿を見るだけでも行く価値がありました。「あぁ、この人本当にバレーが好きだなぁ」って。

もっと話が出来るようになって分かったのは、誰に対してもフレンドリーに振る舞うのはどちらかというと不得手だろうなということ。最近は修正されつつありるようですが以前は今より数段口数が少なかった様に思います。かなり面白い人であること自体周りから分かり難そうだし、シャイだし、ぶっきらぼうに見えたので少し心配もしました。でも実際は腰が低いし、どんなことも出来る限り丁寧で真摯に応えてくれようという姿勢が見えました。シーズンを通して一緒に居た選手や、関わった人たちにはそれが伝わっていると信じてます。

コート上の人格はまた別なんでしょうけれど、それはそれ。他の選手たちに聞いてみたら色々出てきそうですけどね。

ここ数年は加藤さんが「そのある瞬間に」何を考え、何がしたくてコートで・外で人と少し違う行動しているかが分かるようになって、後で「あんなことしてたのは、そう意味ですよね~」と確認したりしました。「もう僕が何を考えてやってるか、みなさん良ぉ~くわかってますよね(笑」と言ってくれたのが嬉しくて、私達は舞い上がったまま降りて来れず、今に至ってます。

常に先を見ているので、私たちの様に終わったことを振り返ってぐちゃぐちゃ後悔はしない人だと思うし、いつも・どんな結果も、自分が決めてやったことと責任取ってました。そんな生き方には正直学ぶ事が多かったのです。

年を追うごとに自己管理が徹底していいって、結局大きな怪我で離脱することがなかったのはただただ褒めたいです。先日ブログでご自身で書いらっしゃいましたが、朝は早く起きて準備にじっくり時間をかけると。早く起きて体を温めてから自分のからだの感覚を日々丁寧に確認したり、シーズン中はお酒はほとんど飲まないとも言ってましたよね。20年以上あのジャンプし続けて、その体を維持しているのは並大抵の事ではないはずです。JT時代は体の管理がまだまだだったのかな?サンガイアの一年目も(JTのユルユルから?)サンガイアの練習のきつさに体がついていかない・・なんてこともあったように見受けました。逆に今年は厳しいフルセットにも対応できていました。また数年前によく足がつってましたがそれも克服。尤も結局、パピは越えられなかったのかぁ、彼まだ頑張っているよと(笑)そこだけは突っ込みたいです。ともかくバレーと、バレーをする自分自身の体に真剣に向き合ってきた加藤陽一を尊敬していました。
だから小馬鹿にした呼び方で揶揄する人たちには我慢なりませんでした。その気持ちは今も変わりません。

あるタイミングで、これまでの人生でのベストゲームは?という唐突な質問をぶつけましたことがあります。直ぐに東レ時代のある試合が返ってきて、正直「へぇ東レ時代なのか」と思ったものです。改めて考えると、もしかしたら後ろを振り返らない加藤陽一が「もしも自分が〇〇に戻ってそこからやり直すなら」あの試合以降から!と考える唯一の試合だったのかなと思ったりしました。(と、あくまでも私の想像です)

これからは、タレントではなく指導者を目指すはずです。
上級コーチの試験はどの段階も一発合格でした。若い世代に本当にバレーの面白さを知ってもらいたい、若い選手を指導する人たちにも自分なりに色々伝えたい・一緒にやりたいことがある・・・と言っていたのでそのためにずっと勉強していたから。バレー大好きな加藤さんがその魅力を伝えていってください。

私は、10年近くにわたって、冬から春にかけての週末は完全に友人たちの誘いを断り続けて、いまさら週末空いてるよって言っても誰も誘ってくれないのかもしれません。そうなったらまた週末は加藤陽一のプレーがもう見られない体育館にバレー観戦に行きます。大勢の選手がサンガイアから巣立ってあちらこちらに散らばりましたから。もちろんサンガイアの応援は続けます。誰も行かないような大変な場所でこそ応援したいというサンガイア・ファンとしての矜持も忘れずにいようと思います。

バレー職人加藤陽一様、本当にこれまでお疲れさまでした。
黒鷲旗でお会いしましょう。 
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