明けましておめでとうございます。
本年もごゆるりと、よろしくお願いいたします。

長いことブログを放置したままです、昨年12月のVチャレ愛媛大会の記事も載せてません(全日本インカレ筑波大学優勝で、気力が失せました)。とはいえ、記録として、後でこっそり載せておくとは思います。

初ブログとしては少々重たいです。
※この問題は様々なご意見があると思います、あくまでも私が思っていることです※
世間で大阪の市立高校バスケ部キャプテンの自殺が大きく報じられています。一つの若い命がこの世にもう存在しなくなったということについては、本当に悲しいです。残された家族友人もお辛いでしょう。


メディアは報道は体罰体罰・・とまくし立てていますが、スポーツ強豪校での殴った殴らないは体罰ですか。当該顧問だか先生だかが、遺族に迫られて「体罰です」と発言はしたようですが、本人の意識は「指導」だったのでは?確かに青タンが出来るまで殴るとかぶつとはは、仮に指導だとしても完全に行き過ぎでっただろとは思います。スポーツ選手は顔も命だし(冗談抜きで)、執拗にキャプテンだからとその生徒だけ・・・と言うのであれば問題は残ると思います。

キャプテンだけにこの暴行(敢てそう言ってみますが)繰り返されてたとしたら、何故でしょう。①伝統的に、キャプテンは責任を取って殴られる立場にいた。②その選手が反抗的な態度をとるから繰り返された・・・?色々不思議な点は残ります。

完全におかしいと思うのは、学校側の落ち度しか目にしない、報道されないということ。「他の先生は黙認していた」・・・・・云々。
その子は家庭でも訴えていたそうじゃないですが、両親はその子供の訴えに対してどういう態度をとっていたんでしょう。バスケ部の関係者に伝えたんですか、校長教頭には直訴したんですか?気になるのはここです。親が、強豪校のキャプテンの息子が自慢で「それくらい我慢しなさい」をもしも繰り返していたとしたら?仮に子供が大丈夫・・っていったとしても、何とか、コミュニケーション取れてたならなおのこと、もっと何とかできなかったか、要するに家庭にも問題を解決する方法があったのではとも思うのです。自分の子供を亡くした悲しみの深さは想像を絶するものがありますが・・・。

とはいえ、この件だけということではなく、いじめ等の報道でもそうですが「悪いのは学校・指導者」という報道が多いのは事実です。学校は所詮、他人の子を集団で預かってるだけだとです。信頼関係がどれくらいかわから無かったかもしれない指導者も問題ですが、その先踏ん張るべきは、最大限努力すべきは、家族や親しい友人なんじゃないかと。家族には生徒を学校に預けたら何でもやってくれるという意識があるんじゃないかと。以前も学校に訴えて調査・・結果白だった・・でも子供が繰り返し訴えるなら、無理やり退部や転校させるって選択はなかったのでしょうか。今回の場合、普通科と体育科に分かれていたようですが、仮にこのキャプテンが退部を申し出たらそれは=退学だったのでしょうか。そのあたり追いつめる原因になっていたりはしなかったのでしょうか。

話がそれました。

注目されるスポーツの強豪校なら、このように執拗な青タンできるまでのことはしないまでも厳しい訓練あると思います。頭に来てゲンコされることだってあると思います。私がもし指導者ならポコしますよ、絶対。要は信頼関係や、友人家族を含めた周りのフォローがあって、そういう世界は成り立ってきたと思います。
体罰を受けて育った選手が、それ自体を肯定的に発言するのは「認知的不協和」云々です・・・・・・ってどこかの学者さんの発言なんかもあるようです。ただド真剣にスポーツに向き合ったことのない者が、心理用語で簡単に片づけるなって、簡単にリツィートなんかするなってことです。本当に「あの時あの先生に厳しい指導されて、自分の今がある」「今があるのは、あの時頑張れたから」って感じている元スポーツ選手って、とてつもない数存在すると思います。

また、暴力はなかったけど、心理的に追い詰められた・・・ってのは体罰にはならないのですか。これはいじめってにはならないんですか?坂道ダッシュして、体をいじめにいじめる・・・とかそれを強要させられることは、体に手は触れてなくてもシゴキになるんじゃないですか?
要するに簡単に、何がダメ、これまではOKなんてことは、どんな世界でも周りからは判断できないってことです。簡単に線引きなんてできませんよ。今テレビが悪であると決めつけそうになっている指導中のボコ!すらが完全禁止されたら、多分箱根駅伝やら、ありとあらゆる全日本選手権だ、春高だって・・・盛り上がらないんだと思うし、五輪何てどこの国でやろうとただのアスリートが集合した!お祭りになる気がします。

繰り返しますけど、私は執拗に殴り続けられるたりする事例は完全に黒だと思います。
でも「何やってんだ、馬鹿!(ボコ<<ゲンコの音」がダメって言ってたらきりがないというか、逆に言葉だけが許されたらもっと陰湿化していくんのではと思います。どの競技も、高パフォーマンスの陰には、ボコor音がしなくても心理的に極限まで追い詰められて苦しむ選手の姿があると思います。またそういうボコする側とされる側には信頼関係というものがあるからこれまでは成り立ってきたし、友人や家族がキチンをフォローしてきたのだと思います。

メディアに言いたいのは、学校や指導法が云々と、それだけを責め立てるような意図で報道するのは止めてもらいたいという事。かといって根掘り葉掘り家族のことを知りたいわけではありません。また暴力がふるわれなくとも、たとえば五輪へのメダル期待だって、アスリートを自殺にまで追い込みかねない見えない暴力になりえます。同じ方向に偏る報道って色々な意味で怖いと思います。


とはいえ、死を選んだあなたが一番の敗者であるのは明白です。
状況がなんであれ、自ら死を選ぶモノに手を差し伸べるを私は知りません。