「市川流リサイタル」・・・・・・
まさか、この二日後に、古今亭菊六改め文菊さんの、真打昇進披露パーティーで、この團十郎さんと海老蔵さんに舞台以外でお会いでき、写真まで一緒に撮っていただけるなんて夢にも思ってませんでした。
その月の歌舞伎興行が20何日に終わって、次の月が2日とか3日から始まるので、月末はお稽古だったり、こういう会だったりが歌舞伎周りでは多いみたい。先日染五郎丈が舞台の奈落に落ちて大怪我をしたのも、確かそういう踊りの会だった。※ここだけの話、あの奈落に落ちる直前までの映像を何度かテレビで見ましたが、あの勧進帳の見栄を切るあの姿・・・なんともヘタクソな上に、面白さを意識してるのか知りませんが着物の形に仕立てた安い布の衣装には正直ガッカリしました。
さて国立能楽堂での、この市川流の会。
正直、成田屋といえども芝居(歌舞伎)以外は見る気がなかったのですが、あまりに自宅と近いので(楽屋口までは徒歩一分)こんな機会はないかもしれないというので行くことに。
市川流の踊りというものが果たしてどういうものか・・・という知識はゼロ。知っているのは、踊りの流派を、現団十郎の妹の紅梅さんと、現海老蔵の妹のぼたんさんが守っていらっしゃることとか、先日5歳で歌舞伎デビューした中車(香川照之)の息子の団子の踊りの師匠さんがそのぼたんさん・・・ということくらい。二代の兄妹が同じ舞台に・・何かすごいです。
脇正面という、能楽堂の舞台に続く橋懸り(廊下)横の一番後ろの席だったので、なんと隣が大向さん(芝居の舞台で、2階3階から「なりたや!」とか「おとわや!」とか声かける人)!他の流派の踊りの舞台に大向こうさんがいるのかはしりませんでしたが、この会は芝居並みにあちらこちらから「なりたや!「こうばい!」「ぼたん!」と声がかかってました。
演目は3つ。「松廼寿翁三番叟(まつのことぶきおきなさんばそう)」「黒谷」「鷺娘」。 「黒谷」は芝居で有名で有名な「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき) 」の後日談として團十郎丈自ら、白血病で闘病中に書きおろした新作とのこと。
「松・・」では團十郎、妹紅梅、長男海老像、長女ぼたんの4人がひとつの舞台に。。。私の想像していた舞台とは違う、もともとが芝居からでた踊りの流派なのだろうか、松・・ではお能のような踊りと、芝居でいう<人形振り(文楽の人形のような、役者が人形のような動きをする)>、などが随所随所にちりばめられ、役者も自らセリフとして語ったりもする。こういういい方は失礼なのは120も承知だけれど、半端なく皆さま美しい動き。
「黒谷」は團十郎以外、他の登場人物3役を長女ぼたんがこなす。ぼたんさん、男性だったらさぞやいい役者になっていたことでしょう。また役者がこういう芝居も書くということは驚き。浄瑠璃の歌詞(?)がパンフの中に漏れなく書かれていたので読みながら拝見しましたけれど、言葉遣いや文法も古いままに考えて書かれているのだなぁと驚きました。
「鷺娘」は、芝居では玉三郎さん辺りが演る鷺の精の娘が雪の中で踊る・・・という恋する娘の心情をつづった踊り。これを古いしきたりの踊りにぼたんさんが振付して、海老蔵丈が踊る・・・。いや、正直最初はどうしようかと思った、お顔が大きいんですもの、海老ちゃん!でも、振りがよかったのか、変に海老ちゃんに反り返り(踊りながら後ろに反り返る、芝居ではここで大うけする)をガツンとやらせて拍手を取ろうという魂胆なく、そこをさらっと流す程度にしたところがむしろ良く、後半は気持ちよく見られました。どんなに暴れん坊でもやるべき基礎がしっかりしているんだよね・・・と思わせてくれました、まぁそれだから私は海老らーなんですが。
最後のご挨拶の時に海老ちゃんが、非常に謙遜して、言い回しは忘れましたが(自分のようなものが人様にお見せするものではない)的なこと仰ってましたが、いや、あれはあれでアリです。
ということで、市川宗家の踊りの、芝居の流れをくむ流派としての巾の広さに圧倒するやら感激するやらして会場を後にしました。多分女性踊りだけの日舞だと、やはり私の興味は半減だと思う。
能楽堂を後に、5分後には家で猫にゴハンをあげていました。