雪の出雲の週末、試合後に体育館から友人達と空港に直行(それ以外の交通手段はごくわずか)。体育館でお別れの挨拶を済ませたチームにまた空港であっちゃう(スミマセン、後をつけた訳ではないですよ~)。チームの荷物が預けたりしてた時間かかってたせいです。

ともかく友人達を空港で見送り出雲市に戻る。私は出雲にもう一泊。
土曜日、飛行機が出雲空港に降りられず叫び岡山に持って行かれたものだから、そこからバスと特急やくも乗り継いで出雲入り。結果、出雲大社の御本殿大屋根特別拝観も見られず終い。ということで、せっかく出雲にいたんだから出雲大社には挨拶しようと決意。

月曜日の朝いちのバスで、出雲大社に。空港行きバスが820発だったので、それまで戻ろうとすると本当に本殿参拝だけだけど、とにかく出かけた。正面鳥居からだと間に合わないので横から本殿に。手水舎の水の冷たいことといったら・・・。無事に様々と色んなお礼をして本殿を後にし帰りのバスに。積雪でもともと道路がぐしゃぐしゃ+がちがちに加えて、その頃は出勤時間。バスは大幅に遅れて、出雲市駅ついたのは8時17分。バス停真ん前のホテルだったし、荷物はまとめてたのと、バスに乗る乗客もたくさんいたので、一気に部屋に戻って荷物とって速攻戻って無事にバス乗車。8時20分発車少し遅れて・・・・・と朝から相当あわただしかった。

朝いちで帰ったのは、本来は午前だけ休むつもりだったから。
でもずっと忙しかったので有給一日取ると決めたので、バレーの週末に行けない「六代目中村勘九郎 襲名披露 ニ月大歌舞伎」@新橋演舞場を見ることに。購入したチケットは文字通り最後の一枚だった。残りモノに福がありそうニコニコ
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最初は「鈴ヶ森」。そして襲名披露と言えば「口上」が楽しみ。口上とは平たく言えばご挨拶。いろんな方が、お客様(ご贔屓の皆様)に向かって、このたびの襲名のお祝いなどを述べる。そしてこれだけで一幕の見世物とするほど、披露目では人気がある。さすがにの御曹司、以下のそうそうたる面々が次々にお祝いを述べる。

父勘三郎 我當 弥十郎 芝雀 三津五郎 秀太郎 吉右衛門 仁左衛門 東蔵 扇雀 錦之助 橋之助 福助、そして弟の七之助、勘九郎本人・・・・・・総勢15名のそろい踏み。

同じ名門とはいえ、まじめな勘太郎アラタメ勘九郎。の「新之助改め海老蔵」の時とは大違いに、もうお褒めの言葉だらけ。遊びのハメを外してきたのは勘九郎より、むしろ父勘三郎丈というのがありありとわかる口上続きで爆笑。

幕間(マクアイ)に場内もくまなく見学。

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お祝いの飾り絵馬が一階ロビーにずらりと。タダの木片ではなく、木に江戸文字書家の橘右之吉兄さんの江戸文字に漆掛けされた字で書かれた絵馬が130枚あまり・・一般人から関係者から芸能人まで幅広い皆さんのお祝い。

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また勘亭流書家の荒井三鯉さんの口上書きもあり(私はこの先生に寄席文字を習っていた時期があるのが自慢得意げ)、改めて、勘亭流(歌舞伎のときに使われる文字)の文字はむずかしいなぁ眺めたり、舞台以外も十分楽しめた。

同時に絵馬は一枚いくらで、これだけでお祝いいくらになったんだろう?って下世話な計算までしてしまったカゼ

ともかく、正直私は勘太郎時代から、あまり彼を真剣に見たことが実はない。お父様の勘三郎丈は、落語界で言えば春風亭小朝師匠のような感じとでもいうのか、色々な他の世界の人との交流も深ければコラボもうまい方。だからファンも多いが、時々鼻についちゃうって人もいるはずで、私自身も嫌いじゃないけど、どちらか選べと言われたら迷わず成田屋派そんなわけで、六代目勘九郎の「春興鏡獅子」もいろいろ海老蔵と比べてみてしまったりした。2月歌舞伎の後半だったからか、最初から良かったのかわからないが、もうそれはそれは正統派の獅子の精であったし、前半の小姓弥生は海老蔵よりもゴツクナイ分見た目が映えたのは想像に難くないそれでも獅子の迫力と蝶を追う獅子のかわいらしさとのギャップ、目力はさすがに海老蔵に軍配かなぁっと、そんな風にみた。

またの縁の演目だけあって、長唄連中から、後見を務めた弟の七之助までがの裃を着けていたのは新しい発見だったし、鏡獅子の前半で、先代勘三郎のお弟子さんで今年92歳の小山三さんも元気に老女役で真っ赤なお着物で頑張ってらしたのもいいお祝いになったなぁと

そこまではよかったんだけど、最後の「ぢいさん・ばあさん」の福助の老女ぶりを、隣で見ていた母娘の娘が「志村けんみたいねぇ」って言ったもんだから、もう私のなかですべてのスイッチが福助=志村けんにロックオンドクロこれから福助さんが年寄りを演じるたびに思い出しちゃうんだろうなぁ~と、苦笑いかお

そんな長~い、満足のいく一日でした。