ささやかに嗜む | かや

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昨日、午前中リンパドレナージュの施術、昼、幾つかの昼食に立ち寄る店のひとつで和食のひとときを過ごし、建物から出ると相変わらず見事な曇天で心が弾んだ。
早朝、住まいの庭におりた時も鞣した雲を広げたような鈍色の空をそのまま映して木立は深い緑を重たげに枝はいっそう垂れて見えた。
あまり意識に無かったが今は梅雨だから、空はいかにも梅雨らしく太陽を閉じ込めている。

梅雨の付く言葉はたくさんある。
梅雨兆す、梅雨めく、梅雨の気配、走り梅雨、梅雨の走り、梅雨曇り、梅雨入り、梅雨闇、梅雨時、梅雨寒、梅雨冷(つやびえ)、梅雨しとど、梅雨湿り、梅雨茸、梅雨の蝶、梅雨豪雨、梅雨出水、梅雨籠(つゆごもり)、梅雨長し、梅雨明け、梅雨上り等々色々有る。
また俳諧歳時記とも重複している言葉も多い。
俳諧では梅雨(ばいう)を黴雨(ばいう)の字を充て句に詠むこともある。
またザクロは梅雨花(つゆばな)という別名がある。
中国では陰暦五月を榴月(りゅうげつ)と呼んでいた。
榴はザクロだ。


タチアオイは別名を梅雨葵(つゆあおい)という。
天保年間の山崎美成(よししげ)の『世事百談(せじひゃくだん)』に、梅雨入り、梅雨明けが分からない時は「花葵(ハナアオイ/タチアオイの別名)の花咲そむるを入梅とし、だんだん標(すえ)の方に咲終るを梅雨のあくるとしるべし」とある。
『世事百談』を著した山崎美成は江戸時代の随筆作家で雑学者として幾つもの書物を残している。
北峰、好問堂などと号した。家は江戸下谷長者町の薬種商長崎屋だったが、学業に没頭し、継いだ家業を顧みなかったので破産した。
国学者小山田与清に師事し、随筆『海録』に着手、また、曲亭馬琴の「耽奇会」や「兎園会」などに参加し、その中心人物となる。屋代弘賢、柳亭種彦、中村仏庵など考証収集家と交わり、流行の江戸風俗考証を行なった。


外出先で見上げた薄曇りの空から梅雨の付く雨のことばを思い浮かべ、梅雨葵から山崎美成を想起し、帰宅してから、書棚にある山崎美成の『江戸考証百科 海録』『隠語』『隠語辞典集成』などの中から、吉川弘文館から出版されている谷文晁、曲亭馬琴らとの共著『耽奇漫録』上・下の上巻を選び、夜、久しぶりに眺めた。
ずいぶん昔、何十年も前、江戸時代に興味を抱いていたことが有る。
興味は移り変わるので、それから何年も過ぎ、バールーフ・デ・スピノザに気持ちが向いて没頭していた時に、手に入れる機会を得たのが山崎美成の幾つかの書物で、何冊か手元に揃えた。
仕事で国内外を頻々と出張していた頃だったので、移動の間や滞在先で空いた時間に眺めた。
特に海外のリゾート地でホテルのプールサイドや真っ白なビーチで江戸時代の学芸・史料を眺めるのは思いの外気持ちにしっくりと馴染んだし、不思議なほど記述が浸透していった。
因みにスピノザはショパンの作品のどれもが全く飽きずに時折集中的に聴いたり弾いたりしてささやかに嗜むのと同じく、時折、エチカをはじめ関連書物を眺め、ささやかに嗜んでいる。


monday morning白湯を飲みつつ空を眺める。

本日も。平坦。