何故そのような約束を交わしたのだったか | かや

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筍の育つ頃、南風に伴われて降る雨を「筍流(たけのこなが)し」と呼ぶ雨のことばがある。
一般的に「流し」は風を指す言葉だが『日本大歳時記』によれば、筍を多く産する駿豆地方の方言というがどこか俳諧的なおかしみを宿す故か、「筍流し」は近時しばしば目にする季題となったと飯田龍太氏が解説している。
また、筍の生える頃に降り続く長雨を「筍梅雨(たけのこづゆ)」といい、「筍黴雨」とも書く。
元は伊勢・伊豆の船詞で陰暦四、五月に吹く、雨を伴う東南風のことだ。
俳諧でも梅雨に黴の字を用い「黴雨(ばいう)」がある。梅雨の時期は黴が生えることからこの字を充てることもある。

何日か後、二十四節気の「立夏」を迎えるが、俳諧で「筍(たけのこ)」は夏の季題だ。他に「たかんな」「竹の子」「筍掘る」「筍飯」などが句に用いられる。



ここ二週間くらいの間に筍料理を何度か食べた。
南青山の筍専門の店だったり、メンバーシップになっているホテルのスパ&フィットネスの階下の和食店だったり、幾つかの居住場所のひとつの近隣宅で招かれた夕食だったり、銀座のフレンチの店だったり、鉄板焼きの店だったり、竹林で掘ったものが届けられて留守番の人が刺身にしたり焼いたりして出してくれたり、広尾の蕎麦割烹の店だったり、色々だが、その時に如何なるメニューであっても矢鱈同じ食材が登場する時がその食材の旬なのだろう。
ずいぶん昔、スイスのチューリッヒ郊外に滞在した時、その建物の敷地に竹林があり、丁度、筍の季節だった。普段食材としての筍など特別な興味は無かったがあの竹林の筍はどのような味なのかなと思って、その美しく瑞々しい緑の竹林を建物から眺めた記憶がある。



終日、庭で過ごそうと思い、庭のテーブルでとても久しぶりに亀山郁夫氏訳のフョードル・ドストエフスキー『新訳 地下室の記録』を開く。この著書は米川正夫氏訳『地下室の手記』で十代の頃最初に読んだ。ニニが四は死の始まりである、というフレーズがある。人生は朝起きて、食事をし、職場に行き、そして、帰って来て、また寝る、そこにはニニが四という数式が当たり前に存在している。その数式から逸脱することを許さない不寛容な社会に身を置くことで、人間は徐々に緩慢な死を遂げていくというようなことをドストエフスキーは表している。集英社版二百七十ニ頁のハードカヴァーは一日を過ごすのに丁度良い。

二時間ほど文字を追っていたところで、「○○さんがおみえです」この住まいの不在を守る留守番の人が庭におりて言った。
○○さんは同じ住宅地に住む男性で、都内のスパ&フィットネスのメンバーシップでもある。プールで知り合ったがはからずも幾つかの居住場所の二ヵ所が重なっていることを知り、以来、時折、住まいを行き来して、ティータイムを過ごしたり、昼食や夕食のひとときを過ごしたりする。
嗚呼そうだった。
すっかり忘れていたが、ランチタイムを過ごすべく来宅する予定になっていて、この住まいで調理して昼食を振る舞ってくれる約束を交わしていた。
そのような約束が完全に頭から消えていたことにも驚くが、料理スタッフと共に食材やら食器やらカトラリーやらクロスやらを運び入れているのを見て、その男性がひとりで何かを作るのでは無いことにもほんの少しだけ驚いた。
そして、何故そのような約束を交わしたのだったかが思い出せないまま、キッチンでは料理が始まり、庭の木陰でドストエフスキーを私は再び読み始めた。


tuesday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本日も。平坦。