分かる? | かや

かや

かやです。



柳花深巷

柳花深巷午雞聲
桑葉尖新綠未成
坐睡覺來無一事
滿窓晴日看蠶生

柳花深巷(りゅうかしんこう)

柳花(りゅうか) 深巷(しんこう) 午鶏(ごけい)の声(こえ)
桑葉(そうよう) 尖新(せんしん) 緑(みどり) 未(いま)だ成(な)らず
坐睡(ざすい) 覚(さ)め来(きた)って 一事(いちじ)無(な)し
満窓(まんそう)の晴日(せいじつ) 蚕(さん)の生(しょう)ずるを看(み)る

范成大(はんせいだい)の七言絶句。
山田勝美氏『中国名詩鑑賞辞典』によれば、范成大は1126年―1192年。南宋の詩人・政治家。字は致能(ちのう)、号は石湖居士(せきここじ)。呉郡(江蘇省蘇州)の人。詩文に長じ、「石湖集」の著があり、その紀行文「呉船録(ごせんろく)」(「出蜀<しゅつしょく>記」)ニ巻は有名。



意。柳の花の咲いている奥まった路地裏からは正午を告げる鶏の声が聞こえてくる。桑の若葉は先がまだ細いので緑の色をなさない。自分は居眠りからさめたが、まだぼんやりしている。窓いっぱいに射し込む晩春のよく晴れた日射しのもとで、春蚕(はるこ)のかえるを見た。


「巷」は、小道、路地のこと。

「尖新」の二字が実に良い、「満窓晴日」も句としてまた良いと解説に有る。

柳花の咲いている小道の奥の情景、初夏の田園風景を詠じたものだが、新緑の爽やさと鶏の鳴き声や春蚕に駘蕩と緩やかに過ぎている時間が表され、穏やかな陽光に包まれた情景が浮かぶ。

因みに蚕には俳諧では「春蚕」「夏蚕」「秋蚕」があり、俳句では「蚕」という時は春の季題となる。

詩は晩春もしくは初夏の田園風景を詠んだもので昨日終日そのような田園風景とは全く異なる場所で過ごしたが、爽やかで長閑に過ぎた一日の印象と重なる詩だ。



夕食の待ち合わせは午後6時だった。
ブルガリイル・チョコラートのクリュッグとチョコレートジェムスを20ほど詰め合わせギフトボックスにした手土産を提げて、友人宅から来た迎えの車に乗る。
最近は夜明けも早くなり、日没もゆっくりになった。
友人宅に到着した頃はまだ仄かな明るさが余韻を残していたが、アペリティフのひとときから場所を変えて食事が始まる頃には静かに帷を降ろした夜が始まっていた。
友人の食卓には時々招かれ、友人自身が全てを準備してくれていたり、或いは、寿司やフレンチやイタリアンや中華や和食など専門の料理人を呼んだり、その時その時によって色々だが、友人自身が調理する料理はプロの料理人に比べてもまるで遜色無い。
昨夜は銀座の寿司屋から職人を呼んでいた。
食事の時に友人は「それにしてもずいぶん陽に焼けたのね」と言った。
朝から何時間か、別な友人とクルージングで海に出て過ごしていたからだが、午後遅く立ち寄ったヘアサロンでも「昨日お出でになった時から比べてすごく陽に焼けています」とびっくりされて、自覚が無かったのでびっくりされたことにびっくりした。
「ヘアサロンでも陽に焼けたと言われたけれど、そんなに?」
「一目で陽に焼けたと分かる感じ」友人は言う。
「どうしましょう」両手を頬に当てて言ってみる。
「思ってもいないでしょう」友人は笑った。
「分かる?」友人に向けて言うと、
ゆっくり頷き「四十数年以上の付き合いだから」友人は言った。


monday morning白湯を飲みつつ、まだ明けない空を眺める。

本日も。うっすら。