無分別 | かや

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「ほのぼのと春こそ空に来にけらし天(あま)の香久山霞たなびく」(『新古今集』春上)空を好んだ後鳥羽院は『万葉集』の天の香久山を意識しつつ、空に春を見出だし、その空の色合いを鋭くしかも柔らかな感性で捉えていると言われている歌だ。初期の「いつしか霞める空のけしきにて行末遠し今朝の初春」(『後鳥羽院御集<ぎょしゅう>』巻頭)以下、空に春を見出だす歌を多く残している。

また、春の夕暮れには独特の情感がある。
「春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯鳴くも」(『万葉集』巻十九・大伴家持)は夕方の微光の中に鶯を聞いて、家持はこの時間が持つ感傷的な心持ちを繊細に表した。
しかし、平安時代になると『枕草子』で有名な〈春は曙・秋は夕暮れ〉の美意識の確立に応じて、春の夕べはあまり詠まれなくなる、と『古今歌ことば辞典』に解説されている。


能因(のういん)の「山里を春の夕暮れ来てみれば入相(いりあひ)の鐘に花ぞ散りける」(『能因法師集』)はこの時期に「春の夕暮れ」を詠んだ珍しい例だ。能因は平安時代中期の歌人で僧侶で小倉百人一首に「嵐吹く室の山のもみぢは竜田の川の錦なりけり」がある。
鎌倉時代初期、後鳥羽院は「見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋と何思ひけむ」(『新古今集』春上)、と実景の美により、伝統の呪縛を振り払う姿勢を歌に示したと言われている。『新古今集』には能因の歌「山里を春の夕暮れ来てみれば」も収められ、この時代以降、春の夕暮れの歌は、再び詠まれるようになったと言われている。

俳諧では白い雲がふわりと浮かび、薄い藍を溶かしたような色が印象的な「春の空」を季題に用いている。白昼の感じも良いし、朝空や夕空にも特色がある。
また、春の夕方、黄昏時を歌ことば春の夕暮れのように「春の夕(ゆうべ)」「春夕べ」「春の暮」などの季題で用いている。
穏やかで優しい春の空も変化を見せ情感を湛えた春の夕暮れも古くから歌われ、俳諧にも継がれ、表現は違うが自然の豊かな表情は題材として多く用いられている。


午後を過ぎて暫くすると、それまでの降り頻る雨が雲の隙間から顔を覗かせた陽射しと共に明るく降り、いつの間にか、雲からすっかり太陽が全身をあらわにして陽光を降り注ぎ、大地の雫全てがその光を乱反射させるかのようにキラキラと輝いていた。
降りやむ気配も無く、しっかりとした雨粒を大地に注ぎ続けていた雨は、雲の隙間から太陽が陽光をひとたび射し込み始めると、それが合図のように衰えて、まるでゆっくり閉じていく蛇口の水流が勢いを無くし閉じた瞬間ぴたりと止まるように、止んだ。
朝から重い雲に包まれ、雨を降る溢していた空は、午後だいぶ過ぎてから、軽やかに明るさを増して、優しい陽光を大地に注いだ。

夕刻、食事の予約をした店に向かう車窓から優しく暮れなずみつつある空を眺めて、ふと能因の「山里を春の夕暮れ来てみれば入相(いりあひ)の鐘に花ぞ散りける」が脈絡無く浮かんだ。
百人一首は歌には興味も無かったが、子どもの頃から僧侶の絵札だけその絵柄が好きだった。十二人の法師と僧正は喜撰法師、僧正遍昭、素性法師、恵慶法師、前大僧正行尊、能因法師、良暹(りょうぜん)法師、道因法師、俊恵法師、西行法師、寂蓮法師、前大僧正慈円だ。そして、入道は、法性寺入道前関白太政大臣、入道前太政大臣、そして、蝉丸。僧侶だったという記録は無く、出自伝承の降り幅が大きいが、頭巾や服装から「坊主めくり」では欠かせない存在だ。

移動の車中で、ビルの向こうの空を眺め、バラバラに脈絡無く浮かぶままに色々描き浮かべつつ、夕食の店に到着し、エントランスに足を踏み入れた瞬間、全て忘れた。
何かを想起する瞬間は実に瑣末な端緒だが、忘れる瞬間も呆れるほどたわい無い。
思考は連なりが有るようでまるで無く、いつでも無分別だ。
誤って自己に囚われものを対立的相対的に見る分別・妄想を離れ、物事の平等性を悟った状態を意味する仏語の無分別では無く、あとさき考えず分別が無く思慮が無いという意味の無分別だ。わざわざ言うまでも無いが。


saturday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本日も。弛く薄い。