犀の形をした盛酒器 | かや

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昨日朝、マシンピラティス&コンディショニング後、移動し、ヘアサロンでシャンプーブロー。移動し、昼食に立ち寄る幾つかの店のひとつで昼のひとときを和食で過ごし、移動し、幾つか私用の買い物で銀座。ティータイムを挟み何軒かで買い物を済ませ、夕刻になる。
コールドプレスジュースの店に寄りグリーンジーニーを選び、帰宅。
暮れなずむ庭で暫し過ごす。
風はあるがテーブル近くのガーデンヒーターの暖に包まれ、寒さは感じないまま過ごすことが出来、とっぷりと暮れ切る前に屋内に戻る。
ピアノの部屋で、棚から楽譜を適当に選び、適当な頁を開いて弾いてみたり、その曲から連鎖してあれこれ浮かぶ曲を弾いてみたり、また棚から楽譜を適当に引き抜いて、主にスカルラッティのソナタやモシュコフスキーの練習曲やショパンのノクターンなどを弾いて過ごし、別な部屋で逆立ちをして、また別な部屋で「小臣艅犧尊銘(しょうしんよぎそんめい)」の金文(きんぶん)とその銘文を持つ犀(さい)の形をした儀式用の盛酒器(せいしゅき)の写真を存分に眺め終わった頃には日を跨ぐ寸前だった。


殷の時代には甲骨文のほかに青銅器に鋳込まれた文字が残っていて、この青銅器を鐘鼎彝器(しょうていいき)といい、そこに鋳込まれた(後期には刻されたものもある)銘文を款識(かんし)、その文字を鐘鼎文(しょうていぶん)または金文と呼んでいる。
その金文が犀の姿をした尊という儀式用の盛酒器は、ふっくらとした銅の背に口がつき、器底、つまり犀の腹にあたる部分に四行二十七字の銘文を持つ殷晩期後半(前1200頃)の優品とされている。出土地は山東(山東省寿張県梁山<じゅちょうけんりょうざん>)という東方で、殷代としては長い銘文を備え、その内容と共に学界で注目された。
この銘文には、王の即位十五年、東夷征伐に出掛けた王が、途次、巡察し、随行した小臣(天子に仕える者)の艅に子安貝を賜わったことが記されている。
相川正行氏藤木正次氏監修『書の手帖』の解説によれば、その字跡は甲骨文に共通するものを多く含むが更に造形的、図象的に整理・美化され、図象徽号(ずしょうきごう)などに比べ絵画的象形性は薄れ、文字の大きさや行も整ってきたが、筆の動きがそのまま現れ、重厚な雰囲気を保っている。出土後、曲阜(きょくふ)の孔子廟に帰したが、その後海外に流出し、現在サンフランシスコのデ・ヤング美術館に収蔵されていると記されている。


この美術館にはずいぶん昔、立ち寄ったことがある。
広大な敷地のゴールデンゲートパークの中に有り、巨大な建物で、向かいのカリフォルニア科学アカデミーもまた巨大な建物だった。展示されているのは現代美術的な要素に加え、博物館的な要素があり、世界中の様々なオブジェや彫像、仮面など、あらゆる時代に跨がって所蔵されている。
たぶんこの博物館的な展示の中に「小臣艅犧尊銘(しょうしんよぎそんめい)」の金文(きんぶん)とその銘文を持つ犀(さい)の形をした儀式用の盛酒器(せいしゅき)が有ったのだろう。
非常に残念なことにそもそもこの盛酒器が所蔵されていることを知らなかったので、美術館のサンフランシスコの北と西側を一望出来る展望台から景色を眺めはしたが、展示自体は興味も無く適当に眺めてしまったので、何も記憶に無い。
今なら、やはり展示全体には興味が無いから目を向けることも無いだろうが、犀の形をしたこの盛酒器だけはしっかり見ただろう。



sunday morning白湯を飲みつつまだ明けない空を眺める。

本日も。特に何も無く。