今に始まったことでは無い | かや

かや

かやです。



ここのところ。ここのところとはここ二ヶ月くらいの間のことだが、普段あまり会うことの無い人々に会う機会が多かった。母方の親戚だったり父方の親戚だったり、ピアノの師だったり、学生時代の恩師だったり、来日したジュリアードの教授だったり、色々だ。
皆、事前に約束をして、ランチタイムを過ごしたり、夕食を共にしたり、数ヶ月ぶりから数年ぶり、或いはもっとという具合に、そこそこ久しぶりで懐かしい状態の再会だった。

近況を互いに話す中、会う人会う人皆から、風邪ひとつひいたのを見たことが無いと言われた。そんなことは無いのだが、確かに言われれば熱を出した記憶は三十代に一度、五十代に一度の二回しか思い浮かばない。そもそも体温を自ら敢えて日常的に測ることも無い。
元気だと言われて非常に心外だったが、骨折とかで入院はしたが、確かに、あまり目立った何かは無いやも知れない。

骨折は何十年も昔、交差点の信号で右折が始まっていたのに、信号を見落として直進して、右折の車を避けきれずに衝突したが、あと十キロスピードをあげていれば回避出来たと言い、すでに法定速度の倍のスピードだったし、百ゼロで私の過失だったから、何の反省も無いと回りから呆れられたが、入院はその時と、その時に骨を繋げた金具を後年取り外した時だけで、病院自体、大きな用事ではあまり行かない。
時々、皮膚病の野良のネコさんに顔を擦り付けて、顔に皮膚病が移ったり、庭で蛾か何かの粉や植物の何かの粉にかぶれたりして皮膚科に行ったり、皮膚科のカルテは皮膚病のネコによる皮膚炎ばかりがたぶん列記されているだろう。
また三ヶ月に一度の検診&クリーニングで歯科には行ったりするが、それ以外、どの科にもあまり用事が無い。
ミッドタウンクリニックが一応総合的に科を網羅している便宜上、何か有ればなんでもミッドタウンクリニックだが、皮膚科と歯科は別なクリニックだ。
以前は暇潰しに、というのも場所的に日常の行動範囲のど真ん中だから、ミッドタウンクリニックでしばしば点滴を受けていた。何に効くかは分からないが時間潰しにビタミン点滴の類いで、毒にも薬にもならないだろうが、その頃はミッドタウンの二階のヘアサロンが行きつけだったので同じ建物内ということもあり、よく点滴も受けていた。
ミッドタウンのヘアサロンは十二年ほど通ったが、今は違うサロンだ。今のサロンも三年以上が過ぎた。ミッドタウンのヘアサロンの前はヒルズのカキモトアームズに三年通った。


病院にあまり行かない話から大きく逸れた。
元気などでは全く無いが、不元気でも無いだろう。
特に何にも警戒していないし、殊更健康に留意していないが、ここ何年も風邪をひいていないのは確かだし、体調がすぐれないという感覚を抱いたことが無い。その逆に元気溌剌などと体感することも勿論無い。何しろ濁音の言葉が何よりも苦手だから、元気などその音の響きだけで萎える。

馬鹿と呼ばれる人間の鈍感さを風邪をひいてもその症状を自覚しないほどとたとえて言った「馬鹿は風邪ひかない」という諺があるが、まさにそれなのかなと思う。
鈍感で居ることはストレスを感じないということでもあるが、私はストレスを感じることが無い。
ストレスほど神経の無駄な疲弊は無いだろう。ストレスになるようなことは無くは無いが受け流している。否、受けてはいないまま流している。

ストレスは人間の免疫機能に関連もしているから、強いストレスはヴィタミンやカルシウムの消費に繋がって、感染症の罹患の原因になり得る。
神経質であれば、心配したり苛立つことも多く、ストレス増加から免疫機能が低下しがちだ。
逆にあまり深く考えたりせずのんびりしていると、ストレスによる免疫機能低下を避けることが出来、体内の病原体が侵入しても十分な免疫機能によって病原体を撃退出来る可能性が高いとされていることから、この俗信「馬鹿は風邪ひかない」もあながち根拠が無いとは言いきれないとされているのは自身を照らして分かるような気がする。何かを心掛けたりは一切していないという心掛けの悪さだが、心掛けが無いことが逆にストレスを感じない要因やも知れない。心掛けが良い人は様々に神経を張り巡らせる分、ストレスを感じ易くなるだろう。


ストレスというワードから思い出したが、四十年以上前に読んだアール・ミンデル氏著丸元淑生氏監訳『Vitamin Bible』にありとあらゆるヴィタミンやミネラルを網羅し、その基本知識と効用と欠乏症とたくさん含む食物とサプリメントと毒性と避けるべきものとアドヴァイスが端的に記されたまさにバイブルだったが、ヴィタミンCはストレス状態にある場合消耗が速いとか喫煙は一本のタバコが二十五ミリグラムのヴィタミンCを壊すという記述があり、当時は現在のように棚にずらりと当たり前に並んでいるサプリメント自体あまり流通していなくて、サプリメントの殆んどが輸入の大きな錠剤で、その頃はアメリカンファーマシーでアメリカで買えば十分の一もしないくらいのヴィタミンCの小瓶が七、八千円くらいしたが、当時このアール・ミンデル氏の著書を始め、ジーン・カーパー氏著丸元淑生氏訳『食べるクスリ』など、丸元淑生氏が着目した栄養学などに興味を持ち、あれこれ読んだ。
丸元淑生氏は「秋月へ」「羽ばたき」などで芥川賞候補になるなど文学作品を発表する一方、栄養学の豊富な蓄積をもとに『丸元淑生のスーパーヘルス』『いま、家庭料理をとりもどすには』『おいしく治そう』など多数著書があり、食物繊維の大切さやいかに体内滞留時間を短く体外に出すとか、今なら当たり前に言われているが、それらの先駆的なガイドラインを早くから呈示していたように記憶している。
今でこそ食物繊維のサプリメントなど山ほどあるが、当時は輸入物ばかりで、イージーファイバーが棚に並ぶ頃から徐々に様々なサプリメントが増えたように感じる。当時は小麦のフスマをお湯でふやかして食べたり、ナチュラルハウスの全粒粉ブレッドを購入していた。
全粒粉パンなど今では珍しくもなんとも無いが、四十年前には全粒粉のパンなどナチュラルハウス以外には無かったように思う。

四十年ほど前、アールミンデル氏の著書からは様々なヴィタミンやミネラルの輸入サプリメントや含有の多い食材や丸元淑生氏の著書から小麦のフスマや切干大根やら他にも色々あるが、随分影響を受けた。とはいえ、タバコを二箱半とか吸っていたのだから本末転倒にも程がある。
二、三年くらい律儀に続いたサプリメントやら小麦のフスマやナチュラルハウスも気付けば脳内からすっかり消えていた。
ある日突然、それまでのルーティンが何の理由も無く一瞬にして終わるのは、今に始まったことでは無いが、四十年ほど前のあの頃の二、三年が人生で唯一、体に適した食材や食品の薬効などに興味を持った最初で最後の何年かだろう。
以来、全く何も気にしていない。摂取する食材だけで無く、色々諸々、何も気にしていないのは、ただ面倒だからという一点に尽きるだけだが、横着にも程があるのも今に始まったことでは無いのだから仕方無い。


friday morning白湯を飲みつつ、まだ明けない空を眺める。

本日も。ほどほど。