ひときわ輝く冬日和 | かや

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神情詩

春水滿四澤
夏雲多奇峯
秋月揚明輝
冬嶺秀孤松


神情(しんじょう)の詩(し)

春水(しゅんすい) 四沢(したく)に満(み)ち
夏雲(かうん) 奇峰(きほう)多(おほ)し
秋月(しゅうげつ) 明輝(めいき)を揚(あ)げ
冬嶺(とうれい) 孤松(こしょう)秀(ひい)づ

顧愷之(こがいし)の五言絶句。山田勝美氏『中国名詩鑑賞辞典』によれば、顧愷之は晋代の画家、字は長康(ちょうこう)、五世紀の初めころの人。博学にして才気に富み、人物画にすぐれ、今に伝わる「女史箴図(じょししんず)」一巻は非常に有名。

意。春は水が豊かで、四方の沼沢に溢れ、夏は入道雲が現れて、空に珍しい峰の形を描き、秋は月が澄んで、明るい光を夜空にかかげ、冬は冬枯れのやまに、松がただ一本目立って、ときわの緑を誇示する。


何度か引用している詩だが、折々を象徴し、鮮やかに情景が浮かび、一幅の絵を見る思いになる。
顧愷之は「画聖」と呼ばれ、「史上最高の画家」とも言われ、唐代以降には名画の祖として尊ばれた。
王羲之が「書聖」と呼ばれ、顧愷之は「画聖」と呼ばれたが、顧愷之の絵もまた王羲之の書同様に原本は残っていないと言われている。
また『啓蒙記』や『文集』などの著がある。同時代の人々には画絶・才絶・癡絶の三絶を備えると言われていた。画絶は絵を、才絶は文章の才能を、そして、癡絶は人物が呑気なことを言う。諧謔を好んだとも言われ、そのエピソードは幾つもあるようだ。

この「神情詩」は殊更の撚りも無く、大変平明でありながら、一分の隙の無い表現が美しく、何度眺めても不思議と飽きない。
日々はこの二十字に集約されていると言ってしまえば言い過ぎだが、ほぼこの感覚のまま三六五日はゆるゆると過ぎて行く。
たとえ、ビルに囲まれた街中に居ても、常に折々の自然は非常に身近にそれは一陣の風がもたらしたり、ふと見上げた遠い空の果てしなさだったり、足元に伸びる自身の影の長さだったり、いちいち既成の景勝地だとか名勝地だとかに赴いたり、求めて探さずとも、その悉くを丁寧に拾うことなど不可能なほど、美しい折々の自然は今この眼前に溢れている。
足をおろした先がアスファルトだろうとそれは豊かな土壌の大地に足を接地させている感覚に変わりは無い。いつでも足元から全ては全身に巡り浸透して行く。


「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という禅語を曹洞宗本山永平寺の七八世貫首(かんしゅ)をつとめた宮崎奕保(えきほ)禅師は「スリッパが(揃えられずに)曲がっている人は心も曲がっている」と履き物を揃える行為、振る舞いと心は深く関わってている、履き物を揃えず脱ぎ散らかすという振る舞いは心の乱れをあらわすものだと端的に指摘している。
脚下照顧は脱いだ履き物を揃える、転じて、足元を見つめなさいという意味で、今目の前にあるやるべきことに全力を注ぎなさいということに他ならないと同じく曹洞宗特雄山建功寺住職の枡野俊明氏も説明しているが、全てはこの禅語に尽きるように感じる。
ちょっとした一瞬の手間と呼ぶほどの動作でない、ささやかな一瞬を大切にせず、次の一瞬は無い。
大切にせずとも勿論次の一瞬は来るが、大切にしない一瞬が次の一瞬に重なって行く。
全ては己れが作り出した今でしか無く、感情もまた紛れも無く己れが作り出しているに過ぎないのだから、色々ごちゃごちゃ外郭にエクスキューズを求めてみたところで、その弁明の、なあんだ、という感じは否めない。

昨日、ヘアサロンでシャンプーブロー後、移動し、メンバーシップになっているホテルのスパ&フィットネスのひとつ下の四十五階の日本料理の店の和三段重の御節をピックアップし、幾つかの居住場所のひとつに戻る途中の車中で、ふと開いた本の頁に脚下照顧の文字が有り、連鎖して、宮崎奕保禅師の言葉が浮かび、ふと顧愷之のあまりにも美しい「神情詩」が浮かんだ。
ふと車窓に視線を向ければ、ビルの林立する街は澄明な陽射しがふんだんに注がれてひときわ輝く冬日和。遠いビルのガラス窓に映る空の美しさを瞳にとどめるよう、ゆっくりと瞼を閉じ、そして、再びゆっくりと瞼を開いた。瞳にはキラキラ輝くガラス窓に映る空がそのまま貼り付いているように感じる。ひときわ輝く冬日和は今、瞳の中だ。笑みが溢れた。


monday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本日も。稀薄なまま。