心持ち | かや

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かやです。



朝いちばんにデンタルクリニックで三ヶ月に一度の定期検診&クリーニングを済ませ、一件簡単な所用後、朝食に立ち寄る幾つかの店のひとつで和食で遅い朝食を摂り、移動、ヘアサロンでシャンプーブロー後、サロンのある建物の中で知人に遭遇、互いに次の予定が有った為、再会を約束し、別れる。
午後は半年ぶりに帰国した友人の都内での住まいで友人と再会。
友人はシンガポールやカリフォルニア州アザートンやイタリアのポルトフィーノなど別宅が幾つも有り、ビジネスもだが生活の拠点を日本には定めていない為、なかなか日本の住まいには戻らない。
学生時代からの友人だから四十数年に及ぶ付き合いだが友人は大学院に進み、卒業したものの全くそれまでの学業とは異質な分野で、ビジネスを起業し、以来、気付けばいつの間にか海外に幾つもの住まいを持ち、半年に一度、日本に三、四日戻って来るようになって久しい。
留守宅は防犯や管理を各々業者に委託しているのでたとえ不意に戻ってもすぐにそのまま塵ひとつ無い住まいで過ごせる。そのように海外在住でありながら、日本の住まいを維持している友人は他にも居る。
昨日会った友人はいづれ日本に戻る訳でも無さそうだが、半年に一度、判で押したように、数日に満たない滞在だが日本に戻って来る。何十年もずっと繰り返している習慣だ。


同郷偶書

少小離家老大囘
郷音無改鬢毛催
児童相見不相識
笑問客從何處來

郷(きょう)に回(かへ)りて偶々(たまたま)書(しょ)す

少小(しょうしょう)家(いへ)を離(はな)れて老大(ろうだい)にして回(かへ)る
郷音(きょういん) 改(あらた)まる無(な)く 鬢毛(びんもい) 催(もよほ)す
児童(じどう) 相(あひ)見(み)て 相(あひ)識(し)らず
笑(わら)って問(と)ふ 客(かく)は何(いづ)れの処(ところ)より来(きた)ると

賀知章(がちしょう)の七言絶句。山田勝美氏『中国名詩鑑賞辞典』によれば、賀知章は659年 ―744年。唐の詩人。字は季真(きしん)、紹興(しょうこう/浙江省)の人。開元年間に礼部侍郎(れいぶじろう)となり、集賢殿学士(しゅうけんでんがくし)をかね、自ら四明狂客(しめいきょうかく)と号した。酒を好み、杜甫の「飲中八仙歌」中の一人として歌われている。李白を玄宗皇帝に推薦したのは賀知章とされている。晩年は道士となった。

意。若い頃に志を立てて郷里を飛び出し、(年久しく宮仕えして)寄る年波と共に故郷に戻ってきた。国なまりだけは(依然として昔のままで)変わらないが、頭にはぼつぼつ白いものがましりはじめ(われすでに昔日の面影無く、人また変わり)、一族中の子どもたちも、うちのおじいさんとは気付かず、(物珍しげに集まってきて)にこにこしながら「お客さんは、いったいどこからお出でになったのですか」と尋ねられる始末だ。

若い時に故郷を飛び出し、長らく他郷にあった作者が、年老いて帰郷した際の感懐を歌ったもの。


杜甫の「飲中八仙歌」で冒頭を飾る賀知章だが、知章騎馬似乗船/眼花落井水底眠〈知章が馬に騎(の)るは船に乗るに似たり/眼花(がんか)井(せい)に落ちて水底(すいてい)に眠る〉賀知章は(南方呉の生まれで)馬には慣れていないので、酔って馬に跨がっているさまは、船に揺られているようで、危なくて仕方ない、酔眼はちらちらし、路傍の井戸の中に落ち込んでも気付かず、平気で水底で眠りこけていたほどである。と杜甫が二句に描いた様子が賀知章をよく表され、したたか酔うさまが目に浮かぶ。人物は豪放磊落というより、かなり傲慢な性質であったようで、「世説新語」(簡倣篇)に王子敬の故事を配し、王子敬を気取っていることによっても知られているが、この七言絶句「同郷偶書」の帰郷者の憮然たる感懐がありつつ、子どもたちのからかうような口ぶりがどこか微笑ましくも感じられるような描写となっているところが巧みでもあるし、面白い。歳月は過ぎてしまえば、実に一瞬だ。
学生時代から何と無く付かず離れず付き合う昨日の四十数年来の友人と楽しいひとときを過ごしている時に、不意に「同郷偶書」が浮かんだ。
賀知章は三十年ぶりの帰郷で一族の子どもから今浦島の如く感懐をしたため、歳月は長大な時間が経過して、あらゆる事象が変幻していることが、浮き彫りとなる詩だが、歳月や状況から明らかに大きな変容がその環境に有ったとしても、人の心持ちは微塵も変わらないように感じる。


tuesday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本日も。稀薄なまま。