複雑さ | かや

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江雪

千山鳥飛絶
萬徑人蹤滅
孤舟蓑笠翁
獨釣寒江雪

江雪(こうせつ)

千山(せんざん) 鳥(とり)飛(と)ぶこと絶(た)え
万径(ばんけい) 人蹤(じんしょう) 滅(めっ)す
孤舟(こしゅう) 蓑笠(さりゅう)の翁(おう)
独(ひと)り釣(つ)る 寒江(かんこう)の雪(ゆき)

柳宗元(りゅうそうげん)の五言絶句。山田勝美氏『中国名詩鑑賞辞典』によれば、柳宗元は773年―819年。中唐の詩文の大家。字は子厚(しこう)、河東(山西省)の人。順宗の時に王叔文(おうしゅくぶん)の知遇を受けて礼部員外郎(れいぶいんがいろう)に抜擢されたが叔文の失敗に連座して永州司馬に流された。有名な「永州八記(えいしゅうはっき)」はこの時の作。ついで柳州(広西壮族自治区馬平県地方)刺史にうつされ、この地で没した。夜に柳柳州といわれる。詩においては、王維(おうい)・孟浩然・韋応物(いおうぶつ)と並び称され、文においては韓愈(かんゆ)とともに唐代古文の二大家だった。韓愈がその墓誌銘の文を書いている。


意。見はるかす山々には鳥の飛ぶ影一つ見えず、小道という小道には、人っ子ひとり通った足あともない(満目蕭条白雪皚皚<まんもくしょうじょうはくせつがいがい>。その中をぐっと太く一本、大江が流れており)、蓑笠をつけた漁翁が、さか小舟を一そう浮かべて、凍るような川の雪中で、無心に釣糸を垂れている。

「千山」・「万径」と完全な対句で打ち出し、生きとしいけるもの、みな息をひそめるこの大雪の中で、じっと風雪に耐えつつ、釣糸を垂れている漁翁こそ、実はある日の作者自身の姿であり、その心象を漁翁に借りて描写したもの、と解説にあり、さすがに老巧というのほか無いと記されている。

山田氏の訳中、小道という小道には人っ子ひとり通った足あともないという承句の一面雪が降り積もった静かだがどこか荒涼とした光景を、更にいっそう視覚的に浮き彫りにするのが、山田氏がカッコ内に付記した<満目蕭条白雪皚皚>で、いっそう柳宗元のこの詩の情景が視覚的な鮮明さを持つ。
満目はその字の通り、見渡す限りという意味で、蕭条は物寂しいさまだ。似たような使い方に満目荒涼、満目荒寥、満目蕭然などがある。
皚皚は、あたり一面が(霜や雪などで)白く見えるさまをいう。皚皚の類語は白々、真っ白などだ。訳中の満目蕭条白雪皚皚という表現がこの五言絶句全体を浮き彫りにし、印象に強く残る。という意味で、訳に付記した表現から印象の深まった詩だ。


昨日、午前中メンバーシップになっているホテルのスパ&フィットネスでごくごく軽く泳ぎ、ごくごく軽くジェットバスに浸かり、ごくごく軽くほんの一瞬3つのサウナを巡り、階下のラウンジでティータイムを過ごし、移動し、ヘアサロンでシャンプーブロー、移動し、やや事務的な所用を2つ片付ける。2つ目の所用の有った建物の中で、背後から声をかけられ振り返ると、友人女性だった。
友人とはいえ年齢差は一回りくらい年下だ。年下だが私の百倍、否、千倍しっかりしている。ある集まりで知人から紹介され、その後交流するようになった。慶應大学医学部在学中から、趣味の音楽活動もし、在籍中は学業も力を入れて医師免許を取得したものの、現在は音楽活動から派生したビジネスを確立し、ちょっとした実業家だ。
何かひとつを全うすることも大変なことだし、何らかの業界でひとつの雄として活躍出来る能力を持つことも稀なことだが、まるで異なる能力を平行して持ち合わせている人が居る。あれもこれも出来ます、知ってます、従事したことがあります的な箸にも棒にも引っ掛からない中途半端な自称では無く、来歴として客観的説得性のある状態だ。更に気立てが良くて美人なのだから、誰もが好きになる。生まれてからずっと大切に愛された彼女は誰に対しても優しい。

性格は本人固有の性向や性質で、感じ方や考え方、行動の仕方などに現れるその人持ち前の特有な特質だろう。環境がとても大きく影響し、おそらく、性格というのは、決して変わること無く一生ものだと感じる。
ある時期から自ら性格を変えることをしたとしても、その中核は既に変えようが無いことはたぶん当人がいちばん分かっているだろう。
それを無視して言葉で脳内や外郭を騙していると中核と繕ううわべとが乖離して、ますます複雑化してしまう。そのような複雑さが彼女は皆無だ。
他の友人たちも皆、同じく複雑さが無い。
友人とは雲泥の差だが、一生もののどうしようも無い甘くユルい性格を自分に甘くユルいまま、だから変えようなどとは微塵も思っていないので複雑さは無い。無論自省も皆無というヒドイありさまだ。


thursday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本日も。淡く薄い。