空を映して | かや

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泛舟葛野川

欲極西山勝
泝流葛野川
浪円魚笏没
枝動鳥相遷
落日紅霞外
行舟翠壁前
風光随処好
薄暮末言施

舟(ふね)を葛野川(かどのがわ)に泛(うか)ぶ

西山(せいざん)の勝(しょう)を極(きわ)めんと欲(ほっ)し
流(なが)れに泝(さかのぼ)る 葛野川(かどのがわ)
浪(なみ)円(えん)にして魚(うお)笏(たちま)ち没(ぼっ)し
枝(えだ)動(うご)きて鳥(とり)は相(あい)遷(うつ)る
落日(らくじつ) 紅霞(こうか)の外(そと)
行舟(こうしゅう) 翠壁(すいへき)の前(まえ)
風光(ふうこう) 処(ところ)に随(したが)ひて好(よ)し
薄暮(はくぼ) 末(いま)だ言(こと)に施(かえ)らず

伊藤坦庵(いとうたんあん)の五言律詩。揖斐高氏『江戸漢詩選』の解説によれば、伊藤坦庵は元和9年(1623)-宝永5年(1708)、名は宗恕、字は元務、号は坦庵・自怡堂(じいどう)、京都の医者伊藤宗淳の男。江村専斎(せんさい)・曲直瀬玄理(まなせげんり)に医を学び、家業を継ぐが、那波活所に学んで儒者に転じ、福井藩儒となる。村上冬嶺(とうれい)・伊藤仁斎(じんさい)等と親しく交わり、江戸時代中期の京都詩壇で活躍した伊藤錦里(きんり)・江村北海・清田儋叟(せいたたんそう)の三兄弟は孫にあたる。『坦庵詩文集』などがある。


◯葛野川/京都の嵐山を流れる桂川の古名。
◯西山勝/洛西嵐山の景勝。
◯紅霞/夕焼け。
◯翠壁/木々の緑や青い苔に覆われた岸壁。
◯薄暮/夕暮れ。
◯未言施/『日本詩選』では「言」は「ここに」と訓んで、語調を整える助辞として扱っているが「未(いま)だ施(かえ)るを言(い)はず」とも訓読できる。「施」は(舟を)引き返す。明の王洪の「舟中雑興」詩その十五に、「興(きょう)に乗(じょう)じて未(いま)だ言(ここ)に施(かえ)らず」。

意。洛西嵐山の景勝を極めようと思い、葛野川の流れを遡った。魚がいきなり姿を消すと川面には丸い波紋が広がり、鳥が居場所を変えると岸辺の樹木の枝が揺れる。赤い夕焼けの向こうに日は落ち、緑の岸壁の前を舟は進んでいく。どこもかもが好い景色なので、夕暮れ時になっても舟を引き返さない。

終わりの2句、風光随処好、薄暮末言施(どこもかもが好い景色なので、夕暮れ時になっても舟を引き返さない)の気持ちにその情景がいっそう浮かび上がるような詩だ。

ずっとこのまま此処に身を置いていたいと思うことがしばしば有る。そして、暫くそのまま佇み、ただ其処に身を委ねる心地良さはひときわだ。


幾つかの居住場所のひとつの時折通り抜ける公園とは反対側に足を向けることは全く無い。
少し前、普段足を向けることの無い道を少し歩いた。
居住場所からも近いが動線からは外れているので、何年かぶりだった。
おそらく数年ぶりだが景色が様変わりしていた。
相変わらず広々とした住宅地に変わりは無いが、いつの間にか新しい住居が軒を連ね、全く見知らぬ光景が広がり、よもや其処が自分の住居から程近い場所とは思えなかった。
かと言って、では以前はどのようだったのかという記憶は曖昧なのだが、随分と変わったなあと思うのはどの新しい住宅も白い印象だからだ。
前庭の先に立つ家々が形こそ違えど、一様に眩しいくらいに白い。
長くこの住宅地に身を置いているが、こんなに白い印象は無かった。
ふと見上げれば、真上の太陽がいっそう白を際立たせるかのように強く輝き、空は青く澄み渡っていた。
足元を見れば、どこにも影の無いアスファルトまでもが白く剥き出していた。

昨日、いつものように待機した車に乗り込んで、ふと、いつだったか久しぶりに歩いた辺りをわざわざ回って貰った。
あれほど眩しく白い印象だった住宅地は特に白を思わせるほど白くは無かった。どの家々もむしろシックな色彩に落ち着いた構えを見せていたし、新しく建て替えられたと思っていたどの家々はもとから有る落ち着いた趣の建物で、嗚呼そう言えばこの辺りはこうだったと曖昧な記憶と合致した。
空は鈍く太陽を雲が覆っている。
どうやら空を映して住宅の印象が異なって見えたようだ。
「では夕陽の時間は?」夕焼けに染まったらまた全く違って見えるのだろうか、思っただけのつもりが思わず声に出た。そして、夕焼けから、坦庵の五言律詩の中、落日紅霞外、赤い夕焼けの向こうに日は落ち、という句を思い出した。
バックミラー越しに「夕陽の時間は今日は雨のようですよ」ドライヴァーが言った。
「雨なのですね」
雨になるのは嬉しいな。と思った途端、空を映して違って見えた住宅地への興味は失せた。


friday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本日も。色々薄いまま。