宗元の住む地 | かや

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夏初雨後尋愚渓

悠悠雨初霽
獨繞淸渓曲
引杖試荒泉
解帶圍新竹
沈吟亦何事
寂寞固所欲
幸此息營營
嘯歌靜炎燠

夏初(かしょ)の雨後(うご)に愚渓(ぐけい)を尋(たず)ねる

悠悠(ゆうゆう) 雨(あめ)初(はじ)めて霽(は)れ
独(ひと)り繞(めぐ)る 清渓(せいけい)の曲(くま)
杖(つえ)を引(ひ)きて 荒泉(こうせん)を試(こころ)み
帯(おび)を解(と)きて 新竹(しんちく)を囲(かこ)む
沈吟(ちんぎん) 亦(また)何(なに)をか事(こと)とせん
寂寞(せきばく) 固(もと)より欲(ほっ)する所(ところ)なり
幸(ねが)はくは 此(ここ)に営営(えいえい)を息(や)め
嘯歌(しょうか)して 炎燠(えんいく)を静(しづ)めん

柳宗元(りゅうそうげん)の五言律詩。山田勝美氏『中国名詩鑑賞辞典』の解説によれば、柳宗元は773年-819年、中唐の詩文の大家。字は子厚(しこう)、河東(山西省)の人。順宗(じゅんそう)の時に王叔文(おうしゅくぶん)の知遇を受けて礼部員外郎(れいぶいんがいろう)に抜擢されるが、叔父の失敗に連座して永州司馬に流された。ついて柳州刺史(広西壮族自治区馬平県地方)に移され、この地で没した。俗に柳柳州といわれる。詩においては王維・孟浩然・韋応物(いおうぶつ)と並び称され、文においては、韓愈とともに唐代古文の二大家だった。韓愈がその墓誌銘の文を書いている。


◯悠悠/時の久しいすま。
◯霽/雨があがる。
◯曲/くま。ほとらや、わ
◯引杖/杖をさしわたす。
◯荒泉/荒れた泉、あるいは滝。
◯試/(長さを)ためしてみる。
◯沈吟/思いに沈む。考えこむ。
◯寂寞/ひっそりさびしい。
◯幸/ねがわくは。どうか。
◯營營/あくせくする。
◯炎燠/焼けるような暑さ(時の政府当局に対する満腔の不平を象徴的に言ったものか)。

意。長かった雨がやっとあがり、ひとりで清らかな谷川のほとりを歩き回ってみる。杖をわたして、荒れた泉の長さをためし、帯をほどいて、新しい竹の太さをはかってみる。考えこむ以外、何が出来ようか。ひっそりとさびしくしているのは本望である。どうかここであくせくするのをやめ、うそぶき歌って、焼けるような暑さをしずめよう。

湖南省の永州(今の零陵県)に流された柳宗元は、瀟水に注ぐ谷川が気に入り、この無名の谷川に自分をなぞらえて愚渓と命名した。そして、その付近を歩き回っては、山水の中にしばし世俗の生き苦しさを癒した。宗元はここに家まで建て、愛してやまなかったが、彼の死後、いくらも経たぬうちにその故郷は廃せられてしまったという。

背景に寂しさもあるものの、静かな地で川に自ら命名したり、泉や竹林で過ごしたりする様子が穏やかに伝わってくる。解釈には色々あるだろうが安穏とした時間を淡々と楽しむ宗元の様子が浮かぶ。


昨日、午前中、あまり行かない街に所用があった。
用事自体は30分ほどだったが、高層ビルやホテルが広々とした道路の両側に整然と林立し、街路樹の青々と繁った歩道がその道路に平行し、所々、木陰には商業車が小休止していたり、キッチンカーがランチタイムに向けて待機していた。
用事の建物はその高層ビルのひとつの高層階だった。
街自体は人混みで真っ直ぐ歩くことなど出来ないが、この高層ビルの集まった辺りは道を歩いている人もほぼ見掛けないし、緑が思いの外多いことで空気も澄んで感じる。
ほんの少しだが、所用のあと、舗道を歩いた。
あと30分ズレればビルからランチタイムで続々と人々が出てくるのだろうが、10数分ほど歩く間、道路を隔てた反対側の歩道を歩く人をひとり見掛けただけだ。
人の気配をビルが包み込んでいて、不思議なくらい、静かだった。
道路が柳宗元の名付けた谷川で真っ直ぐに空に貫くビルが山や竹林のように思えた。
遠く、ぽつんと待機した車に向かって歩きつつ、深閑とした空間がいにしえの宗元の住む地と重なり、愚渓と名付けた川のせせらぎが聞こえて来るような気がした。


thursday morning白湯が全身に心地良く巡り渡る。

本日も。うっすら。