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夏日睡起

独臥風床睡味長
醒来残日下西墻
門前時有売虫過
一担秋声報晩涼

夏日睡起(かじつすいき)

独(ひと)り風床(ふうしょう)に臥(ふ)して 睡味(すいみ)長(なが)し
醒(さ)め来(きた)れば 残日(ざんじつ) 西墻(せいしょう)に下(くだ)る
門前(もんぜん) 時(とき)に虫(むし)を売(う)り過(す)ぐる有(あ)り
一担(いったん)の秋声(しゅうせい) 晩涼(ばんりょう)を報(ほう)ず

館柳湾(たちりゅうわん)の七言絶句。揖斐高氏の『江戸漢詩選』の解説によれば、館柳湾は宝暦12年(1762)―天保15年(1844)、名は機、字は枢卿、通称は雄次郎、号は柳湾・石香斎(せきこうさい)。廻船問屋を営む小山安兵衛の子として新潟に生まれ、父の実家館源右衛門徳信の養子となる。新潟の高田仁庵に学び、22歳の天明3年(1783)江戸に出た。江戸では亀田鵬斎に従学し、また幕府勘定奉行支配下の役人になる。寛政12年(1800)に飛騨郡代小出大助の元締(もとじめ)手付けとして高山に赴任し、以後相模国や出羽国などにも出張したが66歳の文政10年(1827)に到仕して江戸目白台に隠棲した。詩集に『柳湾漁唱(りゅうわんぎょしょう)』初集~3集があり、漢詩歳時記ともいうべき『林園月令(りんえんげつれい)』初編~3編を編集した。


◯睡起/眠り(ここは昼寝)から起きる。
◯風床/風通しの良い寝床。
◯睡味/眠り心地。宋の陸游の「客、門を叩くも多くは接すること能はず、往往にして独り坐して晩に至る、戯れに作る」詩に、「世味(せいみ)余すこと無く睡味(すいみ)長(なが)し」。
◯残日/夕日。
◯一担秋声/一担(ひとかつ)ぎの秋の声。江戸の町では天秤棒の両端に多くの虫籠を提げ、肩に担いで売り歩く虫売りの行商が回ってきた。その虫の鳴き声が秋の訪れを感じさせることから、こう表現した。『柳多留(やなぎだる)』百五十八編にも「虫売りは一荷(いっか)の秋の野をかつぎ」というような句がある。
◯晩涼/夕暮れ時の涼しさ。

意。風通しの良い寝床にひとり横たわって昼寝を長く楽しんだ。目覚めると夕日が西向きの垣根に傾いている。ちょうどその時、門の前を虫売りの行商が通り過ぎた。虫売りの担ぐ虫籠から聴こえてくるような虫の音が秋の夕暮れ時の涼しさを告げている。

虫の鳴き声は如何にも涼しげだ。夏の夕暮れ、ようやく暑さも一段落した頃、虫売りの担ぐ虫籠の虫の鳴き声に清涼な秋が彷彿する様子が浮かぶ。


朝も晩も虫がいつの間にか鳴いて久しい。最初に気付いたのは8月に入ってから何日かした辺りだ。
夕暮れ時から鳴き始め、夜の間中鳴いているのか、夜明け前、静かに密やかに虫は鳴いている。
夜が明け始め、微かに東の空が白み始める頃、蝉は試し鳴きでもするようにひと声ふた声を発して、調えたかのように鳴き声を響き渡らせる。
虫も静かに相変わらず鳴いている。
潤いのある響く声に、あちらこちらの木立から誘われたように蝉たちが鳴き始め、早朝の輪唱は盛大に伝播し、叢の虫たちはと言えば、いつの間にか声をすっかり潜めている。

太陽が傾き、夕暮れが進み、黄昏時は魔物に遭遇するとか大きな災禍を蒙ると信じられていたその昔、昼と夜のそのキワは逢う魔が時、逢魔時、大禍時時と呼ばれていた。逢魔時と書けば読みはおうまがとき、大禍時ならおおまがときだ。半七捕物帖などでも馴染み深い、時間の呼び方で、暮れ六つ、酉の刻を指す、今の時間で言えば夕方6時頃、沈み太陽に燃えた空が明らかに衰退し、緞帳をおろすかのように夜の帳が空を覆いう。
辺りは黒々としている中、最後の最後まで燃え続ける空が辺りに迫った夜に侵食され、遂には完全に空一面、夜が支配する頃、気付けば、蝉の声は止んでいる。
そして、虫たちが静かに叢から涼しげに合奏している。

蝉は太陽と共に声を響かせ、虫は闇が空を支配する頃、ひときわ盛んに演奏する。虫の演奏が続く夜明けに気付くのは、いつでもまだ暦は8月に入って間もない頃だ。夏本番の只中に、既に秋への助走は確実に始まる。
自然はいつでも丁寧に時を進めている。


thursday morning白湯が全身に心地良く巡り渡る。

本日も。事もなし。