不妊治療を始めてやはり一番変わったのはメンタルの不調である。
浮き沈みが激しくずっと沈んでいるような感覚でもあった。
病院に通っているから問題ないと安心しきっていたし
頼りすぎていたことがわかった。
あの時は自分の中で、調べていたつもりだった。
考えが甘かったなと今なら思う。
不妊治療によるメンタルの不調
メンタルにくるというのは何となくわかっていたつもりだった。
だが、実際に自分が治療することで、こんなにもメンタルを削られるのかと。。
治療を始めると周りにいる子供に目がいくようになり、
少子化と聞くのに、こんなにも子供がたくさんいる。
「本当に少子化なのか?」と。
公園で子供が遊んでいたり、兄弟のいる子が目についたりと
本当に子供がこんなに多いのに、なぜ自分の所にはきてくれないのか
と考えても仕方ないことばかり考えてしまっていた。
子供が親を選んでお腹の中にやってくると聞いたことがある。
ほかにも子供が親を選ぶ時に、たくさんの子供たちが選んだ親が同じだと
誰がその親の元へ行くのか取り合いになっていて、
なかなか決まらないという話も聞いた。
なるほど~と思ったすぐあとに
「そんなに取り合いになるほど私は良い母親なのか?」
と考えると「いや、違うな」と。
結局どんな励ましや慰めの言葉も自分には、しっくりこなかったが、涙は出た。
当時はかなり涙もろくなっていたし、道端に咲く花をよく見ていた。
花が好きだからなのか、花をよく見ていた時期だった。
テレビで赤ちゃんが生まれたりドラマで子供を産んだり
そういったシーンはすべて見れなかった。
見たくなかったから避けていた。
また、上の子がいるので沈んでいても子供と接することになる。
気持ちの切り替えをするために、この子といっぱい楽しむんだ、
だから2人目ができなくても楽しめる。
2人目がいないからこそ、1人目にお金をかけてあげることもできると。。
通院が難しい
また通院は子供を連れていける場所もあればダメな場所もある。
子供が欲しいと通っている場所で、他の子供を見ると辛くなるからだ。
わかる。すごくわかる。でも預けられる場所がない時もある。辛い。
確かに、1人目から治療をしていると2人目を考えている人に対して、
1人いるからいいじゃないかと
私はまだ1人目もいないのにと思ったこともある。
これがその人の立場じゃないと見えない世界だと実感した瞬間だ。
だから2人目のときは1人目をなるべく連れて行かないようにしていた。
終わりが見えない治療
タイミング法から始める。
薬を飲み続け、注射を打つ。
HCG注射、これが私は痛かった。
おしりに打ってもらっていたが毎回痛かった。。
タイミングも取らないといけないが正直気分じゃない時だってある。
それはお互い様。
そして義務的になるのも避けたいがどうしても避けられない。
お互いに治療について話したり気持ちを伝え合ったりなどはしたことがない。
それでも続くこの状況がまた過酷なのだ。
心配になる費用
病院によって異なるが、当時は保険適用外だったので
50~100万円ほどが相場だった。
そんな大金を何度も払えるような仕事をしていないし、貯金もない。
夫にこれだけの金額がかかる、でも妊娠が確実にできるわけではない。
そして、不妊の原因は私にある。
伝えるのが怖かった。
「そんなにかかるならやめておこう」「〇回までにしておこう」など
言われるかもしれない。
終わりが見えないからこそ続けられるのか、始めてしまっていいのかが
わからなかった。
費用と欲しいという気持ちを折り合いつけることができるのか不安でしかなかった。
通院と仕事
正直。私の場合は、正社員ではできなかったと思う。
病院までの通院時間も考えるとアルバイトであっても急にこの日に来てくださいとなるから、無理だ。
でも働かないと収入がないから治療も困難になる、
こんな辛い状況でもまだ負のサイクルが存在する。
会社に勤めていたらこの状況を周りの人にも知られ、
何か言葉をかけられていたのかもしれない。
それはそれで辛いものがある。
人によるだろうけど。。
周りの懐妊報告を素直に喜べない
この気持ちは誰にも言えなかった。
おめでとうと思える気持ちの余裕がまったくなかった。
なのでLINEグループで出産報告がくると
思っていなくても伝えないといけない場面もある。
苦しかった。本当に。しかもそれが望んでいなかった場合は特にだ。
こっちは望んで望んで頑張っているのに光が見えない。
何も考えていない人のところに子供ができる。
なんなんだと。そんなこと言っても仕方ないのはわかっている。
でもそれがとても辛かった。その子と距離を置くきっかけにもなった。
次のステップを考えるのに1年待たなくていい
タイミング法は6回までに成功する人が多いとある。
なので、7回目はせずに次のステップへ進んだ方がいいと言われている。
もちろん当時は、その6回までには妊娠したいと思い通っていた。
だが、今の私は可能ならステップアップを早くした方がいいと思ったし、
その病院で最大限できることをやりきったら、
そこではできない治療や検査を早くすべきだったと後悔している。
それは、当時通っていた病院ではAMH(アンチミューラリアンホルモン)を計れなかったからだ。
AMHは卵巣に残っている卵の数値を指す。
この病院ではこの検査はできませんと教えてくれれば良かったのにと責任転嫁してしまうほど私には関係のある検査だった。
早くわかっていれば、数回分の費用を次のステップに回せたのにと思ったからだ。
体外受精をするために病院を変えて一番最初に検査を受けた中にAMHがあった。
今でも伝えられた時のことを覚えている。
30代前半だった私に40代後半の数値が出ていた。
衝撃的すぎた。
卵が少ない、しかも排卵のたびにさらに卵は減っていくのだ。
これは本当に妊娠できないのではないかと思い、目頭が熱くなった。
病院には、夫も一緒に行っていたので、泣かないようにこらえていた。
夫はどう思ったのだろうか。。怖くて今でも聞けていない。
閉経がすぐくるのではないかと心配になり、聞いた記憶がある。
看護師さんがとても優しく、「数値は低くても妊娠する人もいる」「数値は低くても卵の質は今の年齢のものなので大丈夫ですよ」と。
優しくされればされるほど泣けるタイミングだった。
今回は体外受精へ移行するまでのお話でした。
そしてステップアップすれば、妊娠できるとどこかで思ってしまっていたのだ。