高校に入学した甥っ子が
起立性調節障害と診断されました。
家族の元を離れて
地元を離れて
初めての寮生活を送っていた甥っ子です。
初めての経験に
色んなストレスを感じていたのかな
何もしてやれない無力感…
その話を聞いた時に後悔したことがありました。
それは甥っ子の選択肢を増やせなかったこと。
引っ越しをしたいと思っていました。
一軒家でDIYが出来る家を見つけました。
ここいいな
心が反応したのに
思考が
通勤出来る?
光熱費上がるんじゃない?
大丈夫???
やめました。
考えてみたら
月に一度しか出勤しない
光熱費もどのくらい上がるのかわからない
やってみる前から
引っ越ししない理由を作り上げて
引っ越ししない理由に従って行動していました。
あの時一軒家に引っ越していれば
甥っ子が起立性障害と診断されたと聞いて
私と一緒に暮らすかい?
そう軽く言えていたのに
と、後悔しました。
来るか来ないかは
甥っ子の選択肢
ただ私は
部屋が空いてるから来るかい?
そう言えた。
引っ越しをしなかったことで
部屋が空いてるから来るかい?
と言えなかったことに後悔
心の反応のままに行動していたら
部屋が空いてるから来るかい?と言えた
甥っ子の選択肢も一つ増えていた
私も誰かと暮らす体験が出来た
ことに気付きました。
心の反応は直感です。
直感のままに行動していたら
甥っ子と暮らしていたかもしれない
私にとっても
他人と暮らすという
新たなチャレンジが出来たかもしれない
視点を変えてみれば
今の現実とは違う未来があった
こんな風に繋がるんだと
体験しました。
思考が出してくる
やらない理由を
思考からの質問として
どうしたら直感と連結することができるのか
やらない理由をそのまま
やらない理由で受け入れるのではなく
やらない理由を
質問として受け入れ
切り替える
今思えば
きっとなんとかなってたんだろうなぁ
と、思います。
なんとかならなかったら
また方向転換すればいいだけ
なんとかしてたんだろうなぁ
とも、思います。
なので
心が反応する物件を見つけたら
見に行くための行動から始めてみよう
と思います。
これは
甥っ子のための行動するのではなく
私がDIYしたい
DIYして喜んでいる未来の私のための行動
私が私の喜びのために行動していたら
他の人の可能性に繋がっていた
心が反応することを行動に移していたら
どこに繋がるのか
誰に繋がるのか
どんな風に繋がるのか
そんなことはわからないけど
何かに必ず繋がっている
これも一つの繋がり方
繋がることを目的として動くのではなく
心が反応することに動くことを目的としていたら
サプライズだらけになるのかもしれないですね
この結果も良い経験
経験するからわかること
同じことを繰り返さないように
切り替えること
やってみたらわかること
やってみたからわかったこと