先日、十数年ぶりにスケートをしました。
娘は幼稚園の活動でしょっちゅう公営リンクに出てすべっています。
保護者で行ける人はお手伝いに行くので、私もちょこちょこリンクへ出かけています。
でも、いつもはリンクの外。
保護者の出番は、スケートの着脱の時だけです。
しかし今回、息子(3歳)をそろそろスケートデビューさせてみようと、夫と二人お手伝いに参加。
園に通っている訳ではない息子にも貸しスケートを履かせ、私も貸しスケートを履き、
夫はなぜか持っているマイスケートで、いざリンクへ!
私は、自分が生まれ育った街で子育てしているので
娘が通うこの公営リンクは、当然私も通った場所になるわけです。
ものすご~く久しぶりに滑ったリンクは、私が子供の頃よりずいぶん立派になっていました。
そして、なんだか少し狭く感じました。
小、中、高、と通ったリンクで、夫と私そして子ども達が一緒に滑っている。
不思議なような、ちょっと照れくさいような、そんな気持ちでした。
子供の頃、のんびりマイペースで他の子達とちょっと感覚の違った私は
いつもなんだか居心地の悪さを感じていました。
同世代の友達が、盛り上がったり夢中になる事にあまり共感できなくて、
でも、それを表面に出さないようにいつも必死になっている。
不器用でのんびりな私は、がんばってみたところで周りの波にはついて行けず
なんだかいつも、ぽつんと孤立しているように感じていました。
仲間はずれにされる事もあったけど、
それでも自分の心と違う事になびくのがどうしてもできなかった。
自分の心に感じる事と周りとのギャップに、いつも途方も無い気持ちになってしまう。
出口が遥か遠くに霞んでいて、歩いても歩いても到底辿り着けないように感じていた子ども時代。
そんな事を、ちょっと思いだしたりしちゃいました。
大人になって、夫と出会い子ども達を授かる事ができて、
はっきりと確信できる事があります。
私の道は真っ直ぐにある場所に向かっています。
遠道や、回り道に思える事も、結局はそこへ向かって伸びている。ただ真っ直ぐに。
悲しかったり、苦しいことがあったとしても
その道を歩むのに必要だから、自分で選んでやっている。
『だから、大丈夫!少なくとも33歳のあなたは、そう思えているのよ!』
小さかった私の背中に、そう言ってあげたい。
みんなに遅れまいと必死にスケートをこぐ、子供の頃の私の後ろ姿がちょっと見えた気がしました。
そして、蓋をして気付かぬふりをしていた古い感情の栓が「ポンッ」と小さく音を立てて開き
行くべき場所へ、す~っと抜けて還っていった感じがしました。
大丈夫!大丈夫!
私は『今』を生きている。
ただそれだけ。たったそれだけ。
抜けるような青空が、どこまでも気持ちのいい午後でした。
~おまけ~
翌日、軽くなった心とは裏腹にきしむ私の体....。
そう....慣れない運動の後にもれなくついてくる『筋肉痛』!
この痛み、しばらく続きそうです。(笑)