最近、ちょっと怪しい私。

でも、おかしな道にすすんでいったりしてないので大丈夫です。


そんな、私 またまた怪しい記事書かせてください。


で、でも・・・


や、やっぱりか!と 更にちょっとワクワク。

このままいったら 長男クンの病気、治せるんじゃない、私?

とか調子に乗ったり・・いや、治る治らない別にしても

この調子に乗る心こそ、すごく大事だと 私は思うので・・・


っと、前置きはおいといて。


以前に 家を購入したと言ったのですが、

家を購入するにあたり、方角をみてもらったり 契約の日程をみてもらったり、

とか全然せずして、進んできましたが、


私の大切な先輩でもあり友人に ’ちゃんと見てもらわないとー’と言われ、

その方のご実家が おばあさん世代からお世話になっているという方を紹介してもらって


じゃぁ、引っ越しの日程だけでもみてもらおうかなーと

予約するべく、電話しました。



すると・・・


その人曰く、引っ越し日だけを見る、というのは

引っ越しの その日が晴れるかどうか、とか、

引っ越し日に 何事もなく引っ越せれるかとか、

その程度のものしか見れず、


家を購入する前に その年が 家を購入するにあたり

良い年か、良い方角か・・一連の流れで最後に引っ越し日がある、


つまりは、わざわざ お金払って引っ越し日だけみるのは

もったいないから やめときー!と^^;


なんだか、怪しげじゃなく、色んな話(ちゃっかり色々話してた)が

健康的で、すごく素敵な考えの持ち主なのが 感じ取れて、

少しの電話なんだけど、 その人柄にすごく魅了されて、


「実は、息子が 難病だったり、そういうのもあって、

とりあえず、家を購入したことで 何かが降りかかるのは嫌やったから」

っとか 私も世間話的に身の上話をちょろっとしつつの会話の中で、


「あいだ みつるさん、あ、私、好きなんだけどね、

あの人の言葉でもあるけど、下まで落ちたら 後は 登るしかないからね~」


っと、おっしゃり


「わかります>_<私もどん底に落ちて、今は なんだか上がれてるときなんですよ」


っと言った具合に話が進み、、、



ついでに、ちょっと調子乗って


「私、ここまでこれたのには、いろんな方の本で色んな考え方を学んだことも

1つあるんです。今日、○○さんとお話しできたこと、すごく私にとって大きかったです。

もしも おススメの本とかあったら教えてください!」っと言い・・・


「あなたが 良いなって思う本を そばにおいておいて 何度も読んでなさい

そしたら、それがいつの日か、おぉーって思うことでもなんでもなく、

自分にとって普通の考え方になってくるときがくるから。


でも、1つだけ 言わせてもらうならね、祈ってあげなさい。」と。


「自分のことを祈っても叶わないけど、人のことを願ってあげるとね、

叶うみたい、アメリカでも研究が進められてるけどね。

小さい時、お腹痛くても お母さんがイタイタイトンデケーしたら、

不思議と痛くなくなったでしょ。お母さんの力はすごいんやから」と。


なんか、この人との電話に すごく運命みたいなもの また感じて

すごく鳥肌がたった(笑)


で、電話を切ってから、

「祈り アメリカ」でネット検索すると・・・


こんな記事を見つけて。




「ハーバード、コロンビア大学等で祈りの研究」


スピンドリフトによる実験

10年以上にわたり祈りの効果を客観的に研究しているスピンドリフトという組織があります。そこでは麦の発芽と祈りの関係を実験して、祈りの方や祈りの時間の長さ等々、効果ある「祈りの方法」について調査をしました。
麦のほかに大豆についても同様の実験を行いましたが、全く同じ結果でした。

実験の結果、「祈りの方法」に関し、次のように、非常に重要なことがわかりました。

1.祈りは実現する。

麦の発芽の実験で、祈られたグループの種子のほうの発芽率がはるかに高かった。(何度実験しても同じであった)・・・・祈りは発芽の成長に効果があった。

2.苦しい時ほど祈りの効果がる。

発芽しにくいように、麦の種を浸している水に塩分を加える実験で、塩分の濃度を増やすほど(つまりストレスを多く与えるほど)祈りの効果が大きかった。
このことは、祈ってもらう人が重い病気であるほど、あるいは、つらい、不幸な境遇にあるときほど、祈りの効果が大きいのです。

3.祈りの量は祈りの効果と比例する。

麦の発芽の実験で、祈る時間を2倍にした場合は、発芽率が2倍になりました。
このことは病人のために祈る場合、時々、祈る場合よりも、いつもその病人のことを思いながら、できるだけ多く、祈りの念を送ってあげるほうが、病人のためによいといえます。

4.対象を明確にした祈りが効果的。

祈りが効果を持つためには、誰に対して祈るか、或いは何に対して祈るかと、はっきり祈りの対象を明確にして、祈るほど、祈りの効果があるのです。
このことから、ただ漠然と祈るよりも、「病気のAさん、Bさん、Cさん、Dさん」と一人一人を意識しながら祈るほうが効果が大きいのです。

5.祈りの対象の数が増えても効果は減らない。

例えば種子を用いた実験では、種子の数が多くても少なくても、結果は同じでした。
このことから、祈りの対象数がいくら増えて、例えば1人の人への祈りであろうと、5人、10人であろうとも、祈りの効果は変わらないのです。

6.祈りの経験の長い人ほど祈りの効果が大きい。

実験によって、祈りの経験の長い人のほうが、浅い人よりも大きな効果を生むということが分かりました。
ですから「困った時の神頼み」で、急に思い立って祈る人よりも、ふだんから神棚や仏壇に向かってお祈りをしている人の祈りのほうが、はるかに効果が高いのです。
その意味では、神主や僧侶、神父、牧師さんの祈りの効果は大きいと思います。

7.「無指示的な祈り」は、「指示的な祈り」より効果が大きい。




「無指示的な祈り」は、「指示的な祈り」より効果が大きい。
スピンドリフトの研究者の最も重要な功績は、「無指示的な祈り」と「指示的な祈り」を区別したことです。

「指示的な祈り」とは、例えば、ガンが治癒すること、苦痛が消えることなど、祈る人が特定の目標やイメージを心に抱いて祈ることです。いわば祈る人は宇宙に「こうしてくれ」と注文をつける祈り方です。

無指示的な祈りは、なんらの結果も想像したり、注文したりせずに、ただ、「最良の結果になってください」とか「神の御心のままにしてください」と宇宙を信じてお任せする祈り方です。

実験結果では、「指示的な祈り」と「無指示的な祈り」のどちらも効果は上がりましたが、「無指示的な祈り」のほうが「指示的な祈り」の2倍以上の効果をもたらすことも多かったのです。

スピンドリフトの研究者たちは、この結果を見て、「科学的な見地から見れば、どうすべきかを知っている『力』が存在するという事実は衝撃的です」と語っています。

祈りによって愛にあふれた知性とつながる時、その「どうすべきを知っている『力』」は、祈りの対象を最適な状態に向けて動かし、その対象の本当のニーズに最も合った方向へと導くのです。

考えてみれば、いかに私たちの日常生活の中で、「自分にできることは祈るしかない」という場面が多いことでしょう。このような時に祈りがこのような効果があるという事実は、私たちに大きな自信と勇気を与えてくれます。

また、常に他を思い、幸せを祈る心を持ち続けることの大切さと、大いなる存在への「み心のままに」という「おまかせ」の願いの大切さをあらためて強く教えられました。



キリスト教から 般若心経まで、企業のトップの方の成功秘話やらなんやら、

極めた?人の本って 読んでると 何かしら共通点があって。


その共通点に気づき始めた時、やっぱり なんかワクワクしだして。


共通点っていうのは 今を楽しみなさい、とか 笑顔でいなさい、とか

そういうすごくシンプルなことで。


この文章にしても、目に見えないものなだけに、

信じるか 信じないかは その人の心にかかっていて、

信じなければ、それでおしまい、ただの文章。


でも、もしも信じれば、ただの文章が ただの文章ではなくなり、

奇跡の始まりになるんでは・・と。



そうそう、毎月配られる 会社の会報で ふと目にとまった上層部の方の

お話しの中でも すごく魅かれる文章があり・・

(あ、怪しくもなんでもない メーカーに勤務しています)


内容は 中国出張に行った際に 高速道路の料金所を通るたびに、
係員の方々が 笑顔で対応してくれて、昨年までとは明らかに違う。
些細な変化かもしれないけど、風が変わってきた気がする・・って
内容から始まり・・その方は ’気’という言葉に思いれがあるようで。



「病は気から」「冬来たりなば春遠からじ」
「何も咲かない冬の日は、下へ下へと根を下ろせ」
~気合いを入れ、一日一日を大切にして良い一年にしたい。
辛い時や 憂鬱な時こそ背伸びや深呼吸をし、笑顔を作れば
気分も晴れる。皆様もお試しあれ。~「笑う門には福来たる」



いいなぁ。素敵だなぁ~と思った。


・・・


最近 すごく思う、
昔の諺とかって 本当に
その通り、ホント すごいなぁーって思うことが多々あり。


時代が進み 色んなことが便利になって
医学や文明も進んでいるのに、
何十年何千年前の言葉が、今のこの時代にも的を得てる。


っというか、色々本を読んだり 考えた結果
辿り着いたことが 既に諺として存在してたり。

どうしてなんやろう・・て思ってて。


そんなことを会社の先輩に話したら、
今はテレビに携帯にゲームにパソコンに
そういうのがありすぎて、考える時間がないねん・・
私らが 若いときって 電車に乗って音楽聞きながら
景色をボーとみて いろんな事 考えて。
ああいう時間っていうのは 本当に大切な時間やったと思うって。


すごい。


また なんか疑問がとけた。


うまく表現できないのがもどかしいけど、
昔は 人をよく見て、景色をよく見て 空気をよく感じて、
何もないから、だから 自分の頭で色んなことを考えて
だから、色んな事をちゃんと感じれて 
ああいう 諺などを考え付く思考にまで
辿り着くことができたんやなぁ。


なんか、しっくり。


また 糸がほどけたなぁ。


最近 不思議な感覚おおし。


怪しい私^^;