こんにちは
朝は肌寒いくらいで
午前中の散歩🐶は爽やかな朝が吹くのに🍃
昼を過ぎると 🌞めらめらと暑さが…
今日は長女 お休み
長男、昼過ぎに内科健診の為学校へ🏫
滞在時間は10分程度。
健診後にウサギ小屋を覗いていたら
校長先生が👨🏫声をかけてこられました
とりあえず、差し障りのない挨拶と、
不登校'sの対応に感謝の言葉を伝えました。
長女が入学してから
今の校長先生までで、4人め。
小学校6年のうちで4人目って
最近の校長先生の移動サイクル
早いんじゃないかな?!って思いますが
今回の先生も、グイグイくる感じではなく
近所の優しいおじさん
てな感じでした。
さて、タイトルに書いた事なんですが…
不登校生活が長くなると
妥協というか、慣れといか
学校に行かない日常が当たり前になってしまい
さめざめする気持ちは薄れてきます。
私も最近は 小学生の子を持つ母🤱
という感覚が無くなりつつあります
がしかし、それも、一ヶ月に何回かある
学校訪問、子供の送り迎えで
やっぱり、我が子は他とは違う道を行っている
と、痛感してしまうのです。
その感情は やはり
不安
という感情なんですよね…
自由登校、フリースタイル
聞こえは良くても やっぱり
テキストには無い選択肢。
先が分かりません…
時折やってくる、この感情を
今日は長女にぶつけてしまいました。
昼からパパが👨お出かけするので
一緒に行く〜と支度をしていた娘に
「将来の選択肢を広げるためには
勉強も、必要だよ〜。皆んながやっている
内容に追いつかなくても 少しはね〜…うだうだ」
↑ほんとのトコはもっと 嫌味満載で
言っております…


で……
長女、大泣き



大パニック





「勉強すれば いいんやろー(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
今からやるから 持ってこーいW(`0`)W」
パパとのお出かけ もちろんキャンセル
私も言い放った後に
ヤバっ



となりましたが…
とりあえず こんな時は 時間が過ぎるのを待つ
…待つ。
待つしかない…
長女、この場を借りて 言います
「母も人間なのだよ。ごめんね🙏」
もっと気楽に物事捉えて
生きていきたいです
