たまには、死について考える
死について、人間は命に限りがある存在ですから、人生において死はとても身近なものなんですね。生きている限り身近であれ見知らぬ他人であれ、自分の人生の周囲は死に満ち溢れているんですね。そして死は誰にとっても不安なものでありとても怖いものなんですね。
死を恐れる原因は、それがいつなのかわからないということ、そして死後自分がどうなるのか、いくら年齢を重ねて生きてもなかなかはっきりと「死後の世界」についての明確な情報が無いということ、つまり死んだらどうなるのか「よくわからない」からなんですね。わからないものですからそりゃ不安にもなるというものです。更には、痛い目にあうのか、苦しむのか、恐怖を味わうのか、そんなことを考えていると気の弱い私など怖くておちおちと眠ることもできなくなるんですね。とはいうものの、人間は全員いつか必ず死ぬわけですし、多少どこかの誰かよりも長生きをしたところで宇宙の時間、積み上げられてきた地球の歴史の時間を思えば大差ない訳なんですね。
全員必ずいつか絶対に死ぬ、わかってはいても死んだ後どうなるかがわからない限り、死の恐怖や不安から逃れるのはとても難しいですね。生きている以上死を迎えるまでは色々な目にあいながらも生きるしかないわけで、命をつないで人間らしく生きるだけでも大変なのに、死についても覚悟しなくてはならない、生きるってことはとても大変で本当にややっこしいもんですねえ。
死ぬなら死ぬでその死に方も千差万別ですが、私たちにはいったいどんな死に方が可能性としてあるんでしょうね。老衰による自然死、一般的で一番多いのが病死、嫌だけれど事故死、一番いやな一つである殺される死、あるいは自分で・・・。大まかにはこんな感じですかね。どれか選べるとしてもこれでオッケーって言えるものはないみたいですね。
誰でも思うのは死に際して苦痛や苦しさ、恐怖など、あまりに絶望的な状況を被るのは避けたいものですが、そう思っても思い通りにはいきませんね、何だかやなもんですね。できれば死のことなど考えたくない、知らんぷりして生きていた方が楽なのかもしれませんが、死はずっと先の場合もあれば、今この瞬間に突然来るかもしれないものでもありますね。いずれにしてもある程度予想(全く妄想にしかなりませんが)はつくものの、それでも年月日時分秒まで知ることは絶対にできませんからどんなに頑張ってみても人生において死の不安や恐怖を消し去ることはできないんですね。
こんなことばかり言っていたら人生はもう不安で不安でたまらない。人間は基本的には未来がある、少なくとも明日は来るものだと思って生きていますから、何か良いことでも悪いことでも先の事を考えて何かを未来のために企てる事で生きる理由のようなもの、そして「行動」なんてことをするんですね。そして時折、テレビで観る人であれ身近な存在であれ、知っている存在の死を見た時、命の儚さ、そして自分にもいつか必ず訪れる自分自身の死というその時に思いを馳せ、今のこの命に感謝すると同時に自分の命にも不安を覚えるのではないかと思うんですね。
ある意味人生には生と死を見つめ続け、命の終わりという必ず自分に順番が巡ってくる、「おはち」がとうとう自分に回ってくる、人生にはそんな一面があるのではないかと思うんですね。私のような凡人ではいくら考えても解決のつかない死について、シャーマンである神人さんという方が動画でこんなお話をされていたことがあります。「死というのは宿命で、いつごろ死ぬかは生まれる前からだいたい決まっているもの。ただ死に方だけは決まっておらず、人生で何を選んで生きてきたか、因果関係によってその時は前後に1年くらいのブレはある。いずれにしても人はそうしてだいたい決まった時期に人生を終える、どんな最後であれ誰でもそれが寿命だと考えるといい。」私の記憶なので不正確かもしれませんがこんなようなご説明であったかと思います。
私の場合はこのお話をお聞きして少しほっとしたんですね。「いつかはわからないが死の時はだいたい決まっている。」私が思うにいつかはわからないが死は必ず訪れ、それもだいたい決まっている。そうであれば不安も恐怖も無駄だと思うんですね。突然だろうが何だろうが死んだ時が寿命、そうであればどう生きたらいいのか。結局「中今」「今、ここ、自己」に生きるのが一番いいんじゃないかな、なんて私のような極楽トンボは思うわけです。いつ死ぬのかなんてどうせわからない、しかし死は絶対にやってくる。その事実だけが生きている間に誰でも理解できることであって、誰でも知っていることであって、「ならば!」と心に決心できることは何なのかな?って考えた時「どう生きるか」くらいはなるべく早めに決心しておきたいと思うんですね。
人生において最高の経験は何だったのか、私にとっては「愛したこと、愛されたこと、感謝したこと、感謝されたこと」結局たったこれだけだったんです。他で代用はできない事実なんですね。この事はいつも心掛けている「宇宙との調和」「愛と感謝」は宇宙の法則であり全てだ、そう思って生きていれば、この世での出来事、この世で得たもの、地位、名誉、財産、そんなものは何も意味をなさなくなります。あの世に持っていけるものは魂だけですからね、全部捨てていかないといけない。
ただ愛と感謝に生きる。私の場合はそれだけでこの世への執着も未練も消えてなくなってしまいます。人生の出来事は全てが経験と感動、それが私たちが神と呼ぶ大きな一つの宇宙の喜び、そう信じたなら全ての、これまでの生きてきた人生に無駄はなく意味があったのだと思えるようになるんですね。
死について考える。死について語ることはなぜだかタブーのように思われやすいですが、こうして面と向かって、そんなに深刻にならず、恐れることなく、悲しむこともなく、そもそも死とは元居たところ、魂の故郷に帰る事なんだ、などと色々こうして面と向かって死について考える、死への思いを言霊にするすると、なぜかどれだけ大切な事だったかと気づかされるんですね。そうすることで今の命を慈しみ、人生をもっともっと充実したものにできるのではないか、愛と感謝に生きることができるのではないか、大切なことを忘れない様に生きられるのではないかと思うんです。
昨年来、航空機の事故が多いですね。アメリカのワシントンDCで旅客機と米軍のブラックホークというヘリが空中で衝突する事故が発生し、乗客の中に数多くのフィギュアスケート選手やコーチ、関係者が巻き込まれました。その中でロシア出身のご夫妻で、コーチでありプロスケーターだった方が含まれていましたが、その人たちは私と同じ年代に活躍された方で、私自身30年以上前、現役のフィギュアスケート選手だった頃には何度も同じ競技会を経験し、彼らの素晴らしい演技をまじかで見ていました。「あの二人が・・・。」という思いはありますが、それでもそれもまた寿命、それまでを全力で懸命に生きてきた人たちだったと思うことができれば、死を悼みながらも「これまでの人生、本当にお疲れさまでした」と労ってあげたい気持ちになります。
死の時は必ず訪れる、そしてそれはいつかわからない、ならば命ある私たちにできることは誰もが人生を満喫し、幸せに、愛と感謝に、今、ここ、自己に生きることなんじゃないかと思うんですね。そうすればどんな人生だって「なかなか良き人生だった」と私には思えてくるかもしれませんね。私はそう願っています。
私たちが生きるのは「今、ここ、自己」人生を楽しみましょう。
感謝!