数か月前から夫が本気で筋トレに励んでいる。
本気の人がそばにいるとなぜか自分もやってみようという気持ちになる不思議。
なので、
私も「運動」を毎日の日課に取り入れてみた。
結果、
身体を使う、五感を使うと思考力、想像力が良い方向に巡るなという気づきと確信があった。
思考でガチガチになりやすい人は、「考えること」に大半の時間を注いでいる。(私です。笑)
「考えること」は脳の素晴らしい機能のひとつ。
だけど、この考えることを「悩み事」にずっと使っている場合も多い。
ノートを書いているとあれ?またこのことで悩んでいる。ということに気づけるのですが、
いつも勝手に悩んでいる。考えたくないのに悩んでいる。という場合。
自分が考えていることに対して
自覚をすることも大切。
それと一旦、頭の声を黙らす(思考停止)こともとても有効的です。
本来「考えること」は想像する力であり、その想像(こうなりたい、こうしたい)は、自分の理想を創っていくためのもの。
悩み、悲しみ、どうすることもできないと納得するものではない。
その想像力を自分の理想やありたいように巡らすために「身体を動かすこと」「感じること」にシフトチェンジしていくとウジウジ思考は勝手に停止するな〜と身を持って体感した。
感じることは五感を使います。五感を使うということは、身体を使います。
身体を使って感じていることに集中しているとき、それと同時に考えること(悩むこと)はできない。
アートも考えるな、感じろ!の領域。
感じたあとに考えるのだ。
スクワットしているとき、筋肉とか姿勢、呼吸に集中している。
筋肉に効いているな~という感覚を感じている。
汗がじんわり出ていること、血液が体にまわってドクドク脈打ってること。筋が伸びて気持ちいいと感じるている。
そのとき頭の中にある「考え」は停止している。
運動したあと、身体も心も気持ちよくなって思考が前向きになる。
じめじめした雨の日が続いていたとき
とりあえず身体を動かして運動した。
そのまま、気分がスッキリしてせっかくならと家中掃除してみた。いい1日だったと心から思えた。
頭の中に余白ができると、
見慣れた透明化しているような日常の景色も、
もっとこうしたら良くなりそうという発見に繋がる。
例えば、身体を動かし、運動して、掃除したあとにキッチンをみると、ふとここのカウンターに新しい棚をつけてみたらいいんじゃない?
そう思ってその日に棚を調べたり、サイズ測ったら、カウンターの上片付けたりという行動が自然となる。すると、さらに暮らしがいい感じになる。
「暮らしを丁寧に」ってよく聞くけど
これは自分の「こうなったらいいな」「こうしてみよう」をどんどん行動した結果だ。
テンプレートの丁寧な暮らしがあるわけでなく、自分が心地いいと思えることに労力やお金を掛けること。その想像力はいつも透明になってる日常風景や物事に違和感や変化をもたらす。
すると、暮らしが変わる。習慣が変わる。
身体を動かすことで
思考を巡らせ、自分の状態を整える。それが心も体も良い状態。
そうすると自然と最善なほうへ、考えが向く。
とても軽やかに。
夜明け。ヨガは5,6年は続いている。
身体が伸びるのって気持ちいいから。
心地いい、気持ちいいことは、自然としたくなる。
ノートを書くのも、運動するのも、
自分のからだやこころの状態を
心地よく整える「方法」であって
その先の「目的」は自分がどうなりたいか?どうしていきたいか?を自覚していれば習慣化しやすいなという気づきが確信になった。
モネとゴッホのコラボを楽しむ♡
ノートもより良い人生を送るために自分知ることが土台だから続けている。自分を知ることって何よりも価値があることだから。
運動することを健康のためだとどうしてもやる気の欠片も起こらないけど(笑)
健康になって何したいの?まで考えたら動けるかも。今は健康だから目的としては薄くなるな。
身体を動かすことで、その先の思考力、想像力にも繋がっている。想像力の先に自分の理想を創造できることを体感すると特に頑張ろうとしなくてもやりたいって思える。
「身体は一つの大きな理性であり、一つの意味をもった多様体」
というニーチェの言葉に頷くばかり。
身体に意識を向けることは、
敏感、繊細、違い、変化を日々感じ取る感性を磨くお稽古でもありますね。
そこには刺激があるから。
ネットの中にある過激な刺激ではなく、
小さくて、繊細で、緩やかな刺激。
思考優位な社会、考えすぎて疲れている人には日常生活で「身体」を使って感じることを意識的にしていくことは効果抜群です。