自分と営み続けると
保育園から帰ってくるといつも
「たのしかった!」と話してくれる3歳の息子。
頼れる「小さな先生」と呼ばれてるくらい
園生活ではしっかり者の優等生なキャラらしい。
お友達とおもちゃの取り合いも「いいよ」と
譲ってあげたり、
お友達同士がケンカしてたら先生を呼んで
仲裁してくれるそう。
家での様子からは、信じれないけど。笑
外面は、とても良いので
そうなんだろうなと想像できる。笑
そんな息子が最近、
保育園のお昼寝前に
しくしく泣くことがあったと
先生から聞いてびっくりした。
転んで泣いたというのはあったけど
センチメンタルになって泣くというのは
保育園に通って3年間一度もなかった。
すでに、この小さな体と心で
思うことがたくさんあるんだろうな。
息子に話を聞いてみると
いやだな。かなしいな。さみしいな。と
思うことが重なったんだとわかった。
進級に向けて、
新しい環境や体制になっているのもあって
戸惑いや不安もあったんだろうな。
聞き分けがいいから
しっかりしてるから
いい子だね。
大人にそう言われたから、
そうじゃないと
いい子じゃないんだ。って
私も子供ながらに思ったことあるな。
勝手にそう思ってしまったんだな。
本当は、無条件に愛されていたのに。
息子が、みんなが褒めてくれるような
いい子になりたいっていう気持ちは本心だと思う。
悪いことでもないし。
人の役に立ちたいって思う純粋な気持ちだと思う。
その上で、
安心して、
悲しさも寂しさも感じていいよ。
その悲しい、寂しいって気持ちを伝えてもいいんだよ。
そう息子に言ったら、笑顔が返ってきた。
いっぱい抱きしめた。
悲しくならないように
寂しくならないように
嫌な思いをしないように
親になって子どもが
そうならないようにって
思うことは誰しもあると思う。
あるけど、
悲しみも寂しさも嫌だなという感情は
生きていて絶対に避けては通れない。
それは子どもだけじゃなく自分も。
全ての感情が等しくあるから。
嬉しい、楽しい、
悲しい、寂しい、
ムカつく、嫌だ、
等しくて、対等なもの。
優劣はなくて、ただそこにあるもの。
なのに、
嬉しい楽しいは良くて、悲しい寂しいはダメだ。
それを無いものとする、見ないようにすると
感じた悲しさ、寂しさ、怒りが拗れていく。
そして、悲しんだら負け。
寂しく思ったら負け。と思っていると
相手に伝えることが負けになる。
(昔の私含め、パートナーシップで
拗らせてる人でよく見かけるあるある)
ただ、こんな風に言われて悲しかった。
ただ、もっとかまってほしくて寂しかった。
ただ、そう私が感じただけ。
それ以上、以下でもない。
大人になると、この「痛み」を伴う感情を
感じないように避けることがとても上手になる。
感じないように錯覚してるだけで
ちゃんと感じてる。
それらを感じることすらやめてしまうから
その感情が湧いてきたときに
耐えられなくなってしまう。
そして、強がって、
相手を打ち負かそうとしてしまう。
相手に勝つことが
あなたの本当の願いだったのかな?
相手に勝とうと躍起になる前に
そっかー、悲しかったんだ。
うんうん、寂しいよね。
って自分の心の声を聞いてみて。
認めてあげたら
「そうなんだよー!泣」ってなるけど、
不思議とふわっと安心感に包まれる。
安心して、感じていいんだよ。
悲しさも寂しさも、憤りも。
そして、あなたが大切だと思う人なら
伝えてもいいんだよ。
(伝えるかどうかは自分で選べる♡)
安心して、
悲しさも寂しさも感じていいよ。
その悲しい、寂しいって気持ちを伝えてもいいんだよ。