学力的には
神の領域(努力じゃどうにもならない)
と認識しており、
これまでただの一度も募集要項の詳細を
確認した事がありませんでした。
今回怖いもの見たさ(笑)で
チェックしてみたのですが…
募集人数の少なさにビックリ![]()
たったの12名です。
実際には歩留も計算して+14の26名が合格。
それでもこれは狭き門、熾烈な戦いですね。
男子は毎年一桁です![]()
渋幕含む渋谷教育学園は、
帰国生入試を積極的に採用して
学校改革を始めた先駆けとしても
有名ですが、
押しも押されぬ進学校。
結局は
海外大進学実績<東大進学実績
というメッセージが
この帰国生入試の定員の少なさから
読み取れるのかな…
こちらプレジデントの記事には、
その渋渋の入試で出題されるレベチな
エッセイのテーマや
シェイクスピアなどの古典文学から
出題される詩の分析などの出題について
書かれています。
そしてタイトルにもなっていますが、
英検1級でも不合格という表現。
これ、何年も前からよく聞くのですが、
一人歩きしているようにも思います。
渋渋の先生とは実際に
お話をしたことがありますが、
英検1級の力が必要とされる
というよりも
様々な分野に関する関心や知識、
自分の考えや想いを表現する力が必要
とされていると感じました。
それらが足りなかったために
エッセイやディスカッションが
うまくいかなかった。
ということが不合格の理由として
あるという認識です。
だから「英検一級でも落ちる」
という表現には
語弊があると感じます。
英検1級レベルの知識があっても
エッセイが書けなかったり、
ライティング力があっても
表現力がなかったりと、
なかなか一筋縄では行かないのが
渋ズの入試。
(レベルが超高いのは事実です)
規格外な知識や興味、
表現力さえあれば
多少の誤差があっても
ご縁があるのか?
は、気になるところ…
算国のレベルなども含めて
また改めてリサーチや取材を重ねて
アップデイトしていきたいと思います。
エッセイ過去問の一例![]()
Until the early 20th century,
when he reading passage was written,
social class basically determined a person’s life.
Things have changed somewhat,
but any people believe that it is merely
the way we define class that is different.
Communist countries and the United States
claimed that they were “classless” societies,
although social inequalities were evident
everywhere.
Will social classes always exist,
or can society be made less unequal?
Choose one position and explain it with clear,
logical support.
[要約]
社会階級は常に存在するのか?
それとも社会の不平等感を排除することが
できるのか?
一つの立場を選び、
論理的な裏付けとともに説明しなさい。

