タバコをふかしながら、環境問題を論ずる輩が矛盾を抱えるように、
一生懸命でもない人間には他人のそれをとやかく言う権利は無い。

自分に理由を作るなとはそういうことなんです。

言葉や主張を響かせたいなら、それ相応の姿勢が必要。
そこではじめて、届けられる声があるし、拾える声がある。
その論理立てが出来ない以上は、当然、相手にされていると思わない方がいい。


最低限、他人に理由をつけるためにはしなければいけないことがあるんです。
同情獲得が先行して、望むものが手に入る道理が成り立つわきゃないんですよねー。
どんなキレイでカッコいい話でも、
「もうかりまっか」が満たされない限りは、結構意識が薄くなるもんです。

理論は整然としていた方がいい。
現代はどんどん取り込んでいて損は無い。
でも、最終的に経済活動に落とし込めない場合に、持続可能性を切って捨てるとなると、
当初のコンセプト自体がどんなによくても、それこそ「キレイゴト」で終わってしまう。
そんなの、誰から考えてもヤじゃないですか。


金がすべてというわけじゃないんです。
でも、熱意や自由の正論化、行動すればすべてに理由付けされると思えば、それは大きな勘違い。
ただのキレイゴトで終わらせないことを念頭に行動することは、
一歩を踏み出す人間は据え置かなければいけない姿勢だと思うんです。

継続を放棄して、その場のノリの消化だけに当て込む行動は、
理論が通ろうが通るまいが、世の中には通用しない。


継続。その言葉を携えつつ、論理を整理出来てはじめて、
アウトプットはカタチになり、人を引き寄せるんだと思うんですよね。

だから思うんです。
そんなにカンタンじゃないって。
これはどーなんやろ。。。
面白さにしてもクオリティにしても薄っすいような気がします。