失敗をすることを学生時代にしてこなかった。

「ゆとり教育」の弊害が囁かれて久しくもありますが、
教育の原点って結構この言葉にあるのかもしれないと最近感じました。

敢えての失敗、それを教育する様に新人教育を導入する会社もあったりするようなんですが、
何分、僕の中では明言化されてきていない所でもあったので、
これを聞いたときは妙に納得しちゃったんですよね。

人前で話が出来なかったり、
なにも率先出来なかったり、
ひどい場合には背中で挨拶をしちゃったり。

なにか、常に「失敗を恐れている」ところが起因としてあるような気もするんです。
それ以上に学ぼうとする姿勢さえ欠落している人間には助言すらしようと思わないものですが。。。

なにかにつけ、「失敗」に対する根拠の無い不安に襲われている、
新人教育に携わる中、そんな空気感が若年層には蔓延っているような気がするんですよね。

自分をどこまで「身につけたふり」で誤摩化そうとしているのかは知らないけれど、
そんな鍍金が通用する社会だと高をくくる時点で、もう見透かされているんですよね。
そんな先輩ばかりだもの。身に置き換える様に理解って当然なんですよね。

だから、がむしゃらでもあえて失敗して土をつけてしまった方が伸びやすいんでしょうね。
靴の汚れを気にして高く飛べる訳が無い様に、
どれだけはやく失敗するか、その失敗を認識出来るか、その失敗を作り出せるかが、
原動力の鍵のような気がしてます。

社会において強い人って、やっぱそういう下地があるから粘っこく、
失敗からの再起をまかせられる、まかせようと思われるんじゃないですかねー。
意外に答えづらいもんです。

特に結構、当然だとされてるものとかね。
言語化しなくとも~といったところをこう説明を求められると、
イヤなことを言わなくちゃいけなかったりで、なかなか答え難いんですよね。
ま、あからさまにそのイヤなことを引き出させるためだけに
そんな漠然とした質問を投げかける輩には容赦しませんが。

でも、そういった振り返ることもまた大事なんだなとも思えるんですよね。
深層心理に紐つくところもいくつかあって、
今まで見ようとして直視出来ていなかったことに相対すると、
今に抱えているいろんなモヤモヤが吹き飛ぶような気もします。
今に至るいろんな原点がそこにあったりするんですよね。

その原点に立ち戻った時に、その視点から今がどう見えるか。
現状の後ろめたさとでもいうんですかね。
それになんとなく気付き始めています。

人に作られる自分に潰される前に、自分を掴んでおかないと。
正直に生きるその難しさを改めて知りました。
ルッ・・・・プルルル・・・・

他人ってどれくらい待つんでしょうねぇ。。。あんまり考えたこともなかった。

僕はきっちり7回の人です。
あちら側が忙しい時も気付かない時も、
大体7コールくらいの時間を目安に置いています。

想像がつくんですよね。
あちらが電話に目を見やるも、保留押すのもメンドい時だとか、
ちょうど切れてほしいタイミングってこんなとこだろうな~とか。
ディスプレイを開けて、名前を確認して出る出ないを判断するその刹那だとか、
バイブ音にやっと気付く頃合いだとかね。

あちらにもなにかその時に出られなかった理由が作りやすいだろうなと。
そんな間合いが、大体僕の場合は7コールです。


ひどい時にはこちらに聞こえている「プルルル・・・」とあちらの着信音が
どこまでリンクしているかが気になっちゃったり、
電話が鳴り始めてからのあちらの一連の動作を想像しつつ
毎度電話をかけるのが習慣のようになってます。

・・・っていう、無意識下にもそういったルールってそれぞれが持ってたりするんじゃないですかね。
頑に3コールくらいで留守番電話サービスにつながる電話術は僕には不思議なんですが、
そんなルールって感覚よりも多分理由があると思うから、大切にした方がいいんですよね。

といった、久々の論調の記事。
本来は、こういったことを書くのが好きなんですけどねー。
ブログとつぶやきは全くの別物。
僕はそうここに書きました。

読み返してみると、まーったく反省してねぇなぁ。。。なんて思ったり。
ブログを書くぞ!とまでは思わなくとも、
ディスプレイを前にブログに向き合うことが少なくなったんですよね。

同じ社会人をしていても、何かが違ってるんだなぁ。。。と根っこを探ってみると、
なにやら漠然とした理由も分かってきた気がします。
それは、日々、考えることがあまりに根本的すぎるということ。

ふつふつと思うことや、明言しなくてはいけなかったりすることが、
それはもう「魚を手に入れるために魚屋へ行く」と同じくらいのことであったり、
盤石でないぬかるみに足を突っ込んで、飛び上がれないそのことばかり、
その解決策を日々講じている。

思いついたり、思うことの3歩手前くらいを考えてあげなくちゃいけない日常が、
多分、このブログ離れの結果になっていると思うんですよね。

楽しくないんですよね。なにより、腐りたくない。
自分の人生を他人のせいにし始める前に、しっかりしないと。
ネット上だから、顔が見えないから出来ることなんてほとんどない。
そこを勘違いしやすいんですよね。

なんだかんだ、ネット上のそれを架空のものとおきたがったり、
匿名性の高いものとか思われがちだけど、
トイレの落書き以上に足がつくようなものをなんでそこまで都合良く勘違いしたがるんだろうね。
そこらへんが分からない。

架空だったり、自分でない自分を「本当の自分」としたがったりする気持ちも、
この現代社会、分からなくもないです。分からなくもないんですけどさ。
足がどうしても残る故に現実以上に解れを生むそれは、
そんな現代社会よりもよっぽど生き難いということだけは言ってしまいます。

すべてがバレてもいい覚悟と、
それを人には常に見透かされている、そんな姿勢を持っていさえすれば、
ネット社会は非常にラク。
どう映るかが分かるから、やっていいこともカラダで理解出来るんです。

その覚悟すら持たずにやんや言われてもさ。
ストリーキングで捕まって、そりゃ当然だとしか言えない訳です。

見ないフリも疲れるんだ。
揚げ足を取ってるつもりが、いつの間にか取られてるのがネットってやつなんだよ。