コトバってのは、不思議なもので、
小説だとか、雑誌のそれを流用してみたところで、
それそのものの同じ意味を流用先に携えることって、なかなか出来ないんですよね。

いろんな背景があって、そんな人のその口だから言えること、
下地があるから、携えることの出来る意味っていうのがあるんです。

言う資格、までとは言わないけれど、
少なくとも、そう口走る前にやるべきことってたくさんある。

タバコ吸いながら環境汚染を語ったり、
選挙に行かないくせ、政権批判をかましたり。

人間は完璧じゃないので、揚げ足を取ればどうとでも言えるものなんでしょうが、
思い返すまでもなく論理破綻の足がついている時点で、
人にコトバを届けるなんてことはまず出来ない。

もちろん、そのことにすら気付かないなんてのは、
相手にすらされなくて当然なんですよね。

少なくとも相手側に耳をもってもらうために、まずやらなければいけないこと。
自分に理由をつくらないというのはそういうこと。


広告なんてのはその最たるものでもあるんでしょうね。
パチンコに行かない人間がパチンコの広告をうてないように。
フェラーリの広告なんてのは、僕には一生作れないんだろうな。

そういった専門領域から、一般の受け口に対してどう門戸を開いていくかの、
細かな論理組み立てが、広告クリエイティブの根っこなんだと思ってます。

その受け入れられ方の道筋が見える人間って、
才能と言うよりは、これまた人柄なんですよね。

業界が違うけれど、この人がクリエイティブやってたら面白いだろうな~って人が
いるんですけどねー。