説教くさいことはなるだけ言いたくないし、言いかけたくらいには結構気付くクチなので、
走り出した自転車をなるだけ”自然に見える様に”減速をかけるような技術が備わってきている自分に、
最近気付かされてます。

まぁ、こういった出だしになるのは、
やっぱり自分も嫌いだったんです。説教くらうのって。

くらう立場、出だしから「あ、こいつ言いかけやがったな。」って感じたところで、
まずフィルターが発動してしまうし、結構相手側の論点の穴を見つけてしまう人間だもので、
説教垂れる側からすれば、目の上のたんこぶ、すなわち頑固だとか固いだとか、生意気だとか
置き方をすり替えられがちにはどうしてもされてしまうのだけど、
論点も帰結しないまま、「ただ言いたがり」の言葉なんて誰が聞きたいんですかね?

反面、説教らしく響かせない様に諭す人間が存在していることを知れば、
過程にも結果にも技術による差があることが明白になるし、
説教に際してのそんな自分の対応を自覚出来ているからこそ、
説教くさく響かせる側の人間にはやっぱりなりたくない訳です。


なので、文頭のような技術とは言えない反射的な部分が妙に備わりつつあるんですが、
物事をうやむやなままに放置しておくのが生来嫌いなところも、
残念ながら兼ね備わっているところもあって、
局面に際し、最近は結構悩む様になってきてます。

説教はしたくない。看過も出来ない。

ま、いつから説教出来るような立場になったんだってことですが、
それでも主張とは違う軌道修正の場に、説教的なものは必要になってきています。

指導力ってやつなんですかねー。
基本、個人プレイの人間にはなかなか身に付かないところもあるんだけれど、
悪役を押し付けるとかそんな意味じゃなく、こればっかりは人に頼りたいというのが本音です。