面白いCMに笑ってしまったり、視線を止められてしまったりするように、
つまらないCMや、いかがわしさ盛りだくさんの通販広告も
「わからない」として目についてしまうもの。

広告コピーが~だとか、訴求ポイントが、対象世代がだとかさ。
こ難しいこと意識、分析しなくとも、
印象からの善し悪しくらいは判別ついていると思うんですね。

ただ、ここで考えてみるとさ。
この「わからない」広告も、面白い広告と同じ工程を辿って、
世の中に出て来ている。
つまり、プレゼンでその「わからない」広告案を通したと考えると、
そのプレゼン能力はスゴくないですかね?

本質としていいものばかりであれば、
プレゼンはむしろ必要ないものかもしれない。
ただ、残念ながら世の中すべてがそうではない前提、
「わからない」広告も必然かなとは思うんですが、
それ以上に、それを実現につなげるスゴいプレゼンがあるんですよね。

最近は面白い広告でなく、そういった実現力の方に着目しています。
関わる人が違うだけで、質は相当な幅で変動するものだけど、
すべては上記実現力があっての話。

悲しいかな、社会におけるモノ作りが難しいワケです。