何事にも足りないモノやコトというものはあるもので、自ずと認識しているものであったり、気づかされるものであったりね。いろんなところにピロッてほつれた糸みたいなものは出ていて、そこから引っ張るとほどけたり、壊れたりするそれが逆に安心を生むものに立ち代わっていたりさ。

事象の絡みもまたそれと同じで、不安要素はみえていると安心するものでもあったりするんだと思います。

でも、逆にまるで見当のつかないままに一瞬の崩壊に見えると、驚きと同時に見えていない自分と不安だけが残されてしまう。これは、個人的には堪え難い重圧。

例えば、結婚式当日に新婦に逃げられてしまう様なさ。
あくまで個人にしか原因を重ね得ない上に、皆目見当がつかないどころか、見当のつかない当人の視点ですら自ら疑わざるを得ない状況。これを一人支えきれる人間はそうそういないような気がします。

失敗に転じても、せめて反省材料が見出せる様、転がしておくべきなのかなぁ。。。
社会やポテンシャル、機会を濯う上で、依然、言い聞かせられない自分自身はどうすべきなんだろ。。。