音楽という単語を意図的に音学と表記したのは、音から何かを学ぶためだった。
僕は美術的な学生だったし、楽器はアルトリコーダーで挫折している。
ただ何か曲をきいて楽しんでいた時期、それは懐かしく美しい音の記憶だった。
実は、即興演奏や作曲をしたいと思って独自に音楽理論を習得した。
図書館でいろんな教則本を読んで、頭の中の知識として理解した。
ところが実際の音から耳で音程を取れない問題が起きる。
ある一つの音を聴いて、次の鳴った音が高いか低いか、それを判別する能力が無いのだ。
その致命的な問題一つで、今までの知識はただのウンチクと化した。
楽器は一種の憧れだったけど、今じゃ単なるオブジェに過ぎない。
音の高低の変化を判別は出来ないけれど、音が変化しているのは流石に分かる。
だからピアノの響きやエレキギターの歪んだ音のカッコ良さ、そしてリズムの感じならば楽しめる。
ところで、人にとって一番身近な楽器はその人の声だろう。
歌う習慣の無い人たちも普段の会話で声を使ってコミュニケーションをしている。
見た目は誤魔化せるけれど、音や声は嘘をつけない、そう認識している。
歌うように語り、語るように歌う。
耳をすませば、新たな発見が出来るかもしれない。