「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うするようになるのです。」(6:6/新共同訳)

 

「パウロは、実際の具体的な手紙においても、あるいは牧会姿勢においても、何かの問題にふれるたびに、それはイエスと彼らとの関係がはっきりしていないからそういう問題が生まれてきたのだ。そのところがはっきりすれば原因を知ることができる。そういう意味で、信仰をしっかり確立することからお互いの教会生活、交わりが生まれてくる。それは信仰の実として みのってくるのであると言っている。」(「一日一章」 榎本保郎著) 

 互いに重荷を担うためには、キリストの律法、すなわち「神を愛し、隣人を愛する」ことが何よりも必要になってくるものである。そこが抜けると、何かしらの問題が私たちの間に生じてくる。

 

 相手の重荷を担うことは犠牲を払うことが発生する。それを全うするためには、パウロの言うように、キリストの律法「神を愛し、隣人を愛する」ことを私たち自身が行っていかなければいけない。教会で「互いに愛し合いましょう」「愛を持って生きていきましょう」と言っていても、「神を愛する」ことがなされていないのであれば、「隣人を愛する」ことはできない。神のキリストの愛のゆえに「隣人を愛する」ことができると思う。だからこそ、神を愛する者でありたい。神のキリストの愛によって人を愛する者でありたい。

 

 神様、あなたの愛を感謝します。どうか、あなたを愛すことができますように。あなたのその愛によって隣人を愛し、互いに重荷を担うことができるよう助けてください。