私は「父・母・私・妹」の4人家族。
私が子供の頃の父はとても亭主関白で、そんな父の態度に母は度々私と妹が寝る部屋に来て泣いていた
私が小学生の頃の記憶。
父の亭主関白ぶりは本当に酷く、父の言うことは絶対だったし、おかずにラップがしてあっても開けることをせず『なぜつけたまま出すんだ』と怒り、食べたくないものは一切食べず母に突き返してた。
それに、手をあげることも本当に当たり前だった。
そんな幼い頃の私は父に特に可愛がられていたから、幼い頃からいつも父の機嫌を取る役割を与えられていた。幼い頃から私はそれが母の為だと思っていたし、家族の為だって自然に思ってたらしい
我が家は元々サラリーマンの家だったけど、私が中学に上がる頃に突然父はひょんなことから俗にいう【代表取締役・社長】という立場になった。
そこから父は家に帰ってきても【社長】のままで、以前に輪をかけて亭主関白になった。
母は父に敬語で話さないと怒られるようになり、勝手に高級車を買いマンションを買い、更に母にも言わずに一軒家を建てた。
本当に気分屋でプライドが高く、見栄だけで生きているような人。それは歳を取った今もあまり変わらない。
そして、70を過ぎた今でも我慢の限界が来たら母に手をあげる。それも変わらない。
本当に時代遅れな思考回路に、母も私も妹もずっとずっと苦しめられてきた。
私は美容師になりたいと伝えたが反対され、高校も専門学校も自分で選んだ学校は反対され父が決めた。
専門学校を中退した時に父の会社で働く予定だったのに『働くことはいつでもできるから働くなくていい』と言われ、私は目標も何も失った。
当時はバブルの真っただ中で、お金には困ってなかった。
他人からすれば『お金に困らず働かなくていいなんて、こんな良いことはない!』って思うのかもしれない。
でも私は本当に全然幸せではなかったし、働かなくていいと言われ結局私は途方に暮れた。したいことはさせてもらえず、働くことも許されず、友達は当然みんな就職活動し働き始めている中で私は取り残されていった。
そして…バブルも続くわけがなく、景気が悪くなるにつれ父の態度は激変していき『なぜ働かないんだ』と怒るようになった。
なんと、父は私に働くなと言ったことも会社に入れると言ったことも覚えてなかったのだ
その頃から私は本格的に心の病気になり、働く以前に1人で外に出れなくなった。でも、当然父にはそんなこと理解できず『本気で頑張らないからだ』と度々怒るようになり、『お前の育て方が悪い』と次は母を怒るようになった。
私が『これでも精一杯頑張って生きてる』と何度伝えても『そうは思わない』と言われ『いい加減自立しろ』の一言で話が終わる。
一度父に長い手紙を書いたことがある。
それは地元から福岡へ引っ越すことが決まった時、私は父と喧嘩中で本当に福岡へは引っ越したくなかったから。
心療内科の先生には父と離れるよう言われたけど、働くこともできなかったしついていくしかないのは分かってた。
それに、自分のこともだけど母のことを考えるとついていくしかないと思った。
でも、どうしても最後に悪あがきしたかった。。。
『私には私の人生がある』
そう父に伝えたかったから
でも、父が手紙を読んだのかどうかも知らないし、その手紙をどうしたのかも分からない。
引っ越しをする前に父と仲直りするタイミングがあり、仲直りをしてから結局福岡へ来たのだが、引っ越してから一度父に突然『なんで一緒に来た?』と怒られたことがある。
私は本当に唖然とした。。。
私が気持ちを伝えたときは何の一言も言わず、折角必死に気持ちを切り替えて引っ越しをしてきた私になぜそんなこと言うのか私には全く理解できなかった。
こんな父だから理解できないことは日々何かしら起こり、今日もそう
会社が決めた私の仕事のシフトが気に入らないらしく、朝から私のことを無視してる。
どうやら体調を崩して休んだのに、その次の日から三連休なのが気に入らないらしい
そんなこと知らんがな会社に文句言えよって感じだけど、本当に私のことが見えていないかのように無視をするw
もぅ幼稚過ぎて何も言葉にならないし、怒るポイントが分からない
感謝ももちろんある。
ただ、恨みつらいも沢山ある。
正しいことも言うけど、自分の言ったことに責任感が全くないw
ちなみに父は背が高くて頭が良い。
致命的とも言えるくらい背が高いのは私も妹も受け継いだけど、頭の良さは私には全く受け継がなかった
ただ、自分で言ったことに責任感がないところはそっくりで。。。結局私は父の良いところは1つも受け継がなかった
数少ない良いところは妹が全部受け継いだw
私は本当に我が家の出来損ないだと思う
無念。。。