⭐『日本の歴史は謎がある』

YouTuber、都市伝説が好きな方、学者・考古学者の方たちが好んで使います。

言いかえればはっきりしないこと、よくわからないことが日本の歴史には多くあるということです。

この日本の歴史は
本当に謎があるのでしょうか。

謎は謎のままにしとく方がいい、
あれこれ想像するのが楽しいという見方も
わかります。

しかし
ここで1つ謎解きに挑戦したいと思います

まだまだ世の中にはあまり出回っていない
少数の人しか知らない話かもしれません。

信じるか信じないかは
すべてはあなた次第です。w







まずは
日本の歴史を古代まで遡ってみます。

⚫日本の最古の歴史書といえば
昔は学校教育、教科書にも記載があった
古事記と日本書紀


記紀はさらに古い時代の二つの書物
『国記』『天皇紀』を取り入れ
日本神話から始まり天皇へと続きます。

一般的には天皇記は乙巴の変で焼かれ
国記に関しては焼かれる前に持ち出せたといいますが、その後は消息不明となります。

記紀は地方の歴史や文化を記した
『風土記』も取り入れました。

そして古事記は国内用に
日本書紀は対外国用に作られ
それは当時の日本を一つに治めるために行われた国家事業のひとつでもありました。

一般的に私たちが教科書で知ることになる日本の歴史の具体的な出来事は西暦592年以降の飛鳥時代から始まります。

もちろんそれよりも前にも人々は存在し
争い事もあると考えていますが教科書には詳しく記されていません。

飛鳥時代よりも前の時代や
古墳時代になると突然に
「詳しいことがわかっていない」と
漠然とした理由でなぜか細かいことが
一切なくなります。

ほとんどの人は教科書にないこと=存在していなかったと考え、それ以外は想像しませんし考えません。

これは極めて重用なことで
日本人は学校教育での教科書信者になっており、それ以外を考えれなくなっています。

これは戦後教育にも密接に関わっており
深く追及すると戦後のGHQ配下の策略でもあり
非常に根が深いものです。

古事記・日本書紀が教科書に記載されていた時代では日本人は愛国心が強く、書は天皇崇拝へと結びつきそれが戦争心を加速させたと米国は考え、ある意味取り上げた形になりました。

日本人は天孫降臨した神の末裔が天皇陛下であることに誇りを持っていました。

話を元に戻すと

記紀には初代天皇といわれる『神武天皇』
にまつわる話は記されていますが
以降の2~9代のいわゆる欠史8代という
謎の時代があります。

この欠史8代が古代の歴史を解く最大の鍵です。

古事記・日本書紀には記載があるのに
一般的には欠史8代は認められていない史実になっていて後生に創作されたといいます。

理由は天皇名・系譜や陵墓のみしか記載がなく
具体的なことがら、出来事が示されていないから
という理由だそうです。

実に意味不明です。
ここに疑問を感じない人が多い。


個人的に思うのは欠史8代という耳障りのいい言葉がそれ以外を考えさせないような語呂になっているのも原因かと思います。(これは案外当たっていると思う)

一応日本ではなく海外にこの欠史8代の時代の事が記されています。
それが中国の歴史書『三国志』の〖魏書〗中にある、当時の日本(倭)を記した『魏志倭人伝』で
三世紀頃の日本の様子が記されています。

魏書には当時の日本の様子を詳しく記されていて

たとえば
○当時の人々は魚や貝を好んで食べていたこと
○馬やトラや羊がいない代わりにサルやキジがいたこと
小国の乱立(30ほどの小国)
○矛やたてや木弓を使う
○みな裸足であり冬も夏も野菜を食べる
などが記されています。

さらには
○倭人(海人)に関すること。顔に黥(イレズミ)をいれていた
○人々の寿命は80、90年もある
○細かな様子の葬式、結婚、税

有名な邪馬台国や卑弥呼の存在も記されていて未だに議論が続くこの論争ですが
卑弥呼は巫女であったと記されています。


古代歴史において
・なぜ古事記・日本書紀に記載があるのに欠史8代が未だに史実ではないとされ、偽歴史(の可能性)とされるのか
・そもそもなぜ欠史8代、邪馬台国・卑弥呼の具体的な出来事がないのか
・同時代の古代氏族や豪族の存在ははっきりと記載があるのに(古墳含め)、天皇一族は何故あやふやなのか。
・万世一系の天皇と言われるのが、本当なのか。血筋は本当に絶えなかったのか
・日本神道は隠している歴史は本当にないのか
・勝者の歴史が敗者の歴史を消していることは歴史ではしばしば起きている。古代でもあったのではないか?
・なぜあやふやな時代なのに記紀こそが正しいとされているのか(そもそも記紀自体もあやふやです)
・古代の具体的な出来事がすべて消失しているのは不自然であり、一部は残っていると考えるのが妥当ではないのか
・なぜ歴史は見直しや修正がされないのか、またされにくいのか。


これらを明確に答えることができる人はそう多くはいないでしょう。


今まではこれらを解くことはタブーでありましたが、時代は変化し、嘘や偽物は暴かれる時代です

つまり本当の歴史があるのなら
私たちはそれらに触れることができます。
そして真実にたどり着くことができるはずです。

ここに1つ、それを示すものがあります。

近年注目されている〖出雲の伝承〗に
その答えがどうやらあるらしい。


それは長い間封じられてきた出雲の歴史で
古代には【出雲王朝】という国が存在していたといいます。

その王朝の子孫は、現代までも血筋が続いており
古代の出雲王朝の子孫と言われている
富當雄(とみまさお)氏が【富家の伝承
という口伝を残し、息子の斉木雲州氏が自分が立ち上げた出版会社からいくつも書を出していて、人知れず世に出ています。

言葉で伝承していくという
にわかに信じ固い口伝という方法が伝える書本ゆえに信憑性が薄いとされてしまうのはナンセンスで、出雲の伝承にはあまりにも細かい出来事が伝わっています。加えて現実とリンクしており合理的かつ整合性もあります

ただしその内容を把握するには膨大な量と
幅広い知識、そして何よりもそれを受け止める見識が求められます。

ゆえに、敷居は高いです。
一度各々にある固定観念を外し
フラットな観念で知ろうと試みないと
間違いなく頭に入らず脳が拒否します
なぜならば、常識を崩す必要があるからです。
これがこの書が広まらない理由でもあります。

しかし理解をすれば
これ一本で歴史が覆ります
それだけ強烈な革新的な知識です。


富家の伝承によれば
実在した出雲王朝は出雲族という民族が起こしたといいます。

出雲地方に弥生時代(紀元前400年?)~225年頃?まで続いた王朝は

・王の家系が十七代続き
・王家は西出雲王家『神門臣(かんどのおみ)家』と東出雲王家『富(とみ)家』に別れ
・歴代の王は、主王(役職名を大名持・オオナモチという)と副王(役職名を少名彦・スクナヒコという)の交代制の二王制で治めた

といいます。

実は出雲王朝自体は
近年では出雲地方の古代遺跡からの出土品から考えて現実的にその王朝の存在は認められるようになってきました。
(富家の重要な社、島根の神魂神社)

記紀において出雲神話、国引き・国譲り・十七世神などの話というのは実は史実の出雲歴史を神話(風)として残した(残った)といいます。

時の為政者たちによって都合よく出雲の歴史を改編したともいいます。

所為大和王権という時代よりも古い出雲王朝があり、実は全てそこから派生していったのが大和王朝ということを、富家の伝承は伝えます。

出雲族の歴史は古く
膨大な量があるのでゆっくりと何回かにわけて紹介しようと思います。

欠史8代とはなんだったのか。
なぜ歴史から消えさっているのか。
隠された古代の歴史とは?の答えが
ある程度わかるようになります。