母の死因は脳出血でした。
脳出血の発症リスクは、飲酒量に比例して上がるそうです。


母は父と離婚してから1人でアパートに住んでいました。
母が亡くなっているのが発見されたのは、死後2日経過してからでした。


毎日連絡をとっていた母の友人が、連絡がとれないのがおかしいとアパートに行き、中に入れないので警察と消防に連絡をしてくれて、ベランダ側の窓から入り発見したそうです。


警察の霊安室で母と対面しました。
警察官の話では、部屋はとても冷房がきいており、遺体は綺麗なままで発見されましたと言われました。


亡くなる少し前に、お母様は認知症ですか?と警察から電話があったとブログで書きました。
その日の警察からの電話では、異常があれば病院に搬送し、異常がなければ自宅に帰しますと言われ、私はそうしてくださいと警察官に話しました。
何かあれば連絡しますと言われましたが、その後私のもとに連絡はありませんでした。
なので、アパートに帰されたのだと思っていました。


ところが、搬送はされていたようです。でも、その日のうちに帰されたそうです。お酒を飲んでの離脱症状なので、処置する事はなく、いつもの様に帰されたのでしょう。


そこから亡くなるまでの数日、母がどう過ごしていたのかはわかりません。
ただその友人の方がいなければ、もっともっと母の発見は遅れていたでしょう。
私はその友人の方に連絡をとり、お礼を伝えました。


私が母と会話をしたのは2020年の10月が最後です。
とにかくアルコール依存症の治療をさせる為に動いて動いて、でもやっぱり治療をする事はなかった。病気を認める事もなかった。


1人で生活出来る環境を整え、手をはなす準備を始めた。その間はとことん母と関わり、それこそゼロから新しい生活を始めれば、何か変わるのかもと思いました。
新しい部屋、
新しい家具、
暗い部屋で四六時中布団の上でお酒を飲む生活とは離れられるのではないかと…。


ところが引っ越して1ヶ月もたたない2020年10月。
私がアパートにいくと、暗い部屋で昼間からお酒を飲む母の姿がそこにありました。
新しいカーペットは漏らしたのか汚れており、下着も履かずにお酒を飲み、呂律は回らず、お酒を飲んだんだねと言う私に対して、アンタに何がわかるのよ!と母は言いました。


私にはもう限界でした。
ここが手をはなす時だと思いました。


2023年9月。
警察の霊安室で対面したのが3年ぶりの母との対面でした。



アルコール依存症は母を大きく変えました。
完璧な人間なんていない。
完璧な親もいない。
母と性格が合わないと思った事はいくつもあります。
それでも、アルコール依存症がなければ、もう少し、もう少し関わっていけた気がします。


どうすれば良かったか。
一緒にいたら、間違いなく共倒れしました。
アルコール依存症はそのくらい怖い病気です。
依存症本人も、それを支える依存症家族も、本当に大変な思いをする病気なのです。


母は決して大酒飲みではありませんでした。
確かに焼酎の割合が濃い時もありました。
1日中飲んでいる時もありました。
でもアルコール性肝炎になってからは、量も濃さも、それほどではなかったはずです。
でも一旦肝臓がそうなってしまうと、一滴でもダメなのです。
ひどい離脱症状に苦しみ、またチビチビと飲み出す。
顔つきは変わり、体は痩せ細り、それでも飲み続ける。
迷惑をかけ、人が離れていく。
寂しい…また飲む。
でも病気は認めない。
負の無限ループです。


1人じゃ乗り越えられない病気。
だから家族が支える。
でも、その家族をフォローしてくれる人はいない。家族だって苦しい。
だから家族も離れる。
何より依存症本人が病気を認め、自分と向き合わないと治療が始まらない病気。
どんなに周りが訴えても、依存症本人がお酒と手を切らなければ、断酒しようと思わなければ、どうにもならない病気です。



前にもブログで書きましたが、依存症家族の会で聞いた話をもう一度書きます。
アルコール依存症者の2割が断酒を継続し、健康な精神や体を取り戻している。
4割は入退院を繰り返しても、お酒がやめられない。
残りの4割は治療にすらかかっていない。
その4割のうち、2割は家族に看取られて、病院で死をむかえる事が出来るでしょう。
でも残る2割は家族に捨てられ孤独死です。
母は結局、この最後の2割に入ってしまいました。


日本のアルコール依存症者は100万人以上と推定されるそうです。
予備軍は1000万人を越えるとも言われています。
何をすればこの数字は変わるのでしょうか。


私は、まずはアルコール依存症という病気を知ってほしいのです。