アルコール依存症という病気は、自分が依存症だと診断されると一生お酒をやめ続ける闘いが始まる。
治癒という概念がない病気で、どこでも手に入るお酒、どこでも見る事があるお酒を前にしてもやめ続ける事が必要だ。
しかしその前に高い高い壁がある。
アルコール依存症は別名『否認の病』と呼ばれる。
自分が依存症だと認めない。認められない。
依存症家族が苦しむのはこの否認の状態ではないか。
依存症本人が病気に気付き、お酒をやめる決意をしてくれたらいいが、なかなかそうはいかない。
でもお酒による被害を被るのは家族で、否認の状態が長く続けば続くほど家族は苦しむ。
治療に結び付いていない依存症患者は多くいると思う。
とにかくこの最初の否認の壁が越えられないのだ。
否認の壁を越えるには『底つき』と言われる断酒のきっかけになるような痛い目にあう事が必要だと言われる。
しかしその『底つき』とは人によって感じ方がまちまちではないか。
肝臓や膵臓の病気になり病院に運ばれても、警察のお世話になるような事になっても、家族や自分を想ってくれる人がみんな離れていっても、自分のお酒が原因だと気付かない人間もいるのではないか。
『底つき』の底に達するのが死の直前だとしたら、その時に気付いても助からないではないか。
母は5年以内に肝臓がんになると言われても認めなかった。
酔って知らない人の家に不法侵入し警察のお世話になっても、麻薬の依存症を疑われて警察で尿検査を受ける事になっても、娘である私に見放されても、まだ依存症だと認めない。気付かない。
母の『底つき』なんていつくるのか。
家族がどんな事をしても、依存症本人が最初の壁を越えられなかったら何も始まらない。
これって何とかならないのだろうか。