父が医療保護入院になる前に会う約束をしていた精神保健福祉士さんと私は会って今までの流れを話しました。
母を訪問するので一緒に同席して欲しいと言われました。
 
母は病気への否認がとても強く、なぜか勘が鋭く、自分を病気扱いする人間はとことん寄せ付けないので、どうすれば精神保健福祉士さんと会って話をするのを受け入れるか考えました。
 
そこで母には、父が入院したので心配事はないか…家族のフォローをしに来たという嘘をつくことにしました。
 
話をするのを受け入れて貰えたら定期的に訪問し、母の治療の方に話を持っていく予定でした。
 
精神内科の訪問医療を受けていた時もそうでしたが、カウンセリングのような事が始まると、すぐに母は相手の事をバカにしたような物言いになり、最後は「何が言いたいの!?」と、怒り出すパターンなので、とにかくゆっくり遠回しに話をしなければなりませんでした。
 
案の定、精神保健福祉士さんに「話の内容をメモでも取ったら?」「ちゃんと書いてるの?あんたバカだね~」と上から物を言い、それでも精神保健福祉士さんは母の話を嫌な顔をせずに聞いてくれました。
 
母の血圧をはかったり、まずは体の状態を把握して貰いながら、家の状況や生活状況を見るといった感じで1回目の訪問は終わりました。
 
実家を出てから私は「どうですかね?」と聞くと、「難しいですね。いきなり話を進めるのは無理なので、ゆっくり回数を重ねていきましょう」と言われました。
 
そしてすぐに出来る事として、警察と保健所とで母の情報を共有する事にしました。
例えば飲み屋で母が問題を起こした時に警察が出動するような事があれば、そこから直接病院に連れて行って措置入院という形がとれるかもしれない。
 
網を広げておいて、そこに母が引っ掛かるのを待つようなイメージです。
 
ちょっとでも可能性があるなら何でもやる!そんな気持ちだったのですぐに連携を取って貰えるようにお願いしました。
 
父が鬱病になった事で事態は悪化したけど、母に治療を受けさせる為にはきっとこれが最後のチャンスだ!と思ったので、私も関わるのはこれが最後だと心に決め、問題解決の為の戦いが再び始まりました。 

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