…続き


RSKバラ園を後にして

ここから実家の方へ向かいました車

多分,人の運転では通ってる道なので

何となく風景は分かるけど

ルートは確実ではない泣き笑い

車180号に出れば平気〜ちょっとの事なんだけどね


まぁ迷うことなくこの道に出たので

あとはスイスイ車

道が分からないと運転も疲れるからねぇ


いつも車ぶっちぎりで田舎道を行き

実家まで真っしぐらでいるので

ふと、この町の町中どうなってる?と

気になりまして、、、。

立ち寄って散歩する事にした。


相当にこの町並みを歩いていない

大人になって全っくです。爆笑

結構、歴史的な町ではあって

小学一年からずっとその歴史を

学ばされる感じだった。

近頃、この辺の町屋も新しい人が

入ってきて、古民家カフェ?とかも

やってるみたいなんだけど、

地元のそうした所へ訪れた事がない爆笑

この通りをしょっちゅう歩いたり

自転車走らせたりしたのも小学生まで。

懐かしすぎる。町並み保存地区で

同級生のお家も並びにあるのだが

どうしているのかな?住んでるのかな?

色々思い巡らせながら歩いた。

↓cafe ratioさん。

(画像はお借りしました)

こんな古〜い感じのお家が続いていて

ここも一学年上の人の家だったかなと思ったり

古〜いけど売れるもんなんだねぇ

こんな佇まいのお薬屋さんも当時はあって
◯◯というお薬下さいってお使いしてて
木枠の小窓からおじい?さんが
渡してくれるみたいな、昭和50年代と言っても
まだそんな感じの何もかも
古い所ばかりでした。
大人になった今では,それが風情というもので
懐かしくも趣きがあって良いなと思える。

歴史が好きな人には

マニアックな所かもしれません。

どういう観光なのか知らないけれど

今では観光バスも来ていたりする。

子供の頃はなーんて事なく

日々,通っていたのにねぇ〜

侍屋敷は県の指定重要文化財となっています。

白壁の長屋門と土塀に囲まれた
家老杉原家の旧邸宅。
江戸中期の建築と推定され長屋門、
御成門、土塀、庭園などどれもが
よい保存状態で武家の生活様式を知る
資料としても貴重な存在だ。
母屋は伝統的な武家書院造。 
寄棟、茅葺き、総檜平屋建ての組合せは、
今日の和風住宅の原型ともいわれている。

侍屋敷の並びに小学校・お向かいに

支所・図書館兼公民館もあるから

そこは馴染みが深い。小学校の横は

県の名勝とも謳っている近水園(おみず)がある

今は新緑がとても綺麗。

子供の頃は広場を駆けずり回って遊んで

いただけなので、この風景なんて

全く気に留めてなかった!!爆笑


​足守藩主・木下家の庭園で、小堀遠州流と伝えられる池泉回遊式庭園の好例として知られています。近水園の築庭時期は、記録からは定かではありませんが、6代藩主の木下㒶定(きんさだ)の時18世紀初めと推定されていて、県下では岡山の後楽園・津山の衆楽園と並ぶ大名庭園です。岡山県指定名勝(昭和34年3月27日)

この浮島は亀さんになってますが

そう見えますか?!

桜と紅葉の季節が素晴らしいです。

特に紅葉🍁は凄く美しいので

その時期に来てみようかな。

というか、誰も居ません爆笑穴場過ぎる

木陰もあって、ベンチで寛ぐのも

何て、贅沢な時間かしら、、、照れ


備中足守藩は豊臣秀吉の奥さん、

『北政所』ねね様という名で親しまれている

彼女の兄が藩主として治めていたので

その出所としてこの地では崇められている?

位牌もあるみたいだし。


木下利玄は白樺派の歌人(明治〜大正)

足守藩最後の藩主が父親だった人。


緒方洪庵は蘭学者・医学者で

この方も足守藩出身で後に大阪に出てるけど。

医学所(塾)を開いていて

ドラマ『JIN仁』に武田鉄矢が演じて

出てきた時は

おー気づきびっくりってなりました。

天然痘だったか?なんかの治療研究に

奔走したっぽい。


この3人の歴史的人物を学ばされるので

小学校の劇の中によく取り入れられたけど

全然,覚えてない爆笑お利口さんです。


町並みはね、この地域のコレが中心地(笑)

ここなら良い所ねぇ〜とも言えるが

ここじゃなかったら田んぼの中

広い一本道が出来て車車生活。

田畑に山だらけ、、、過疎地域です。

商業施設もあるわけない。

岡山市だけど

隣町の総社市などに出ていたかな〜。

↓実際、こんな所の方が多いんちゃう?

これが現実凝視

育った町,散策

そういった風情もある所の巻でした。


クリックお願いします↓

 病と共存生活の励みになります
にほんブログ村 病気ブログ 肺・気管支の病気へ
読んだよのポチッとありがとねっ!