「竹田の子守唄」の元唄とされるものとして、武村やす(1900年 - 1985年)がその晩年に近しい人に紹介した歌詞とメロディーが残されている。

Wikipediaには書かれているが、残念ながらネット上の動画には武村やすのものは 発見できなかった。さらにWikipediaには以下のように書かれている。

 

武村やすの元唄は、江戸時代後期に広まった俗謡である都々逸と同じ「七・七・七・五」の音律に従った短い歌詞と「どしたいこりゃ きこえたか」というリフレインで  構成されている。 とある。

以上から以下の動画が元歌と同等と思われる。

 

      竹田の子守唄

      京都市伏見区竹田の被差別部落伝承唄

 

全国的にこの歌が知れ渡ったのが、フォークグループ "赤い鳥" のバージョン

 

      竹田の子守唄                                                                          赤い鳥

      リードヴォーカル:山本潤子 編曲:村井邦彦川口真、赤い鳥

 

この歌は、被差別部落伝承唄であった事から数奇な運目をたどる事になる。

また、"赤い鳥" が解散した切っ掛けともなった歌でもある。

背景を知りたい方は、Wikipedia でも概略を知る事が出来る。

竹田の子守唄 名曲に隠された真実」「橋のない川」等でも一端を知る事が出来る。

 

 

そんな事を知らなくても、美しい歌である事は間違いないよね。

歌は、歌い継がれる事が正しい。

知識は、知るためにある。