山の天気は変わりやすいとは聞いていましたが、いゃ〜本当に目の当たりにしました。命からがら登頂に着く頃には、雨も風も強くなりとてもテン泊できる状況ではなく、登頂からさらに先にある山小屋&避難小屋で泊まることになりました。たまたまその日は諏訪湖の大花火大会だったようで、長野の守屋山から花火大会を見ようとカップルや数人の方が先に来てましたが、天候が悪く雲に覆われていて何もみえませんでした。途中から皆さん真っ暗闇の中をほとんど下山されていきました。
熊の通り道でもある場所でしたので、少しビビりました。
薬で血圧が低くなり過ぎてしまったのと、初心者向けの山だったそうですが、体重超過の為に久しぶりにヤバかったですね、呆然としている写真です〜(笑)
ただ、山小屋に泊まるなんてことは普段ないことなので、とっても良い経験になりました。
下山時には、デカイ見たこともないカエルが挨拶にきてくれました。
そして登山前には、天気も良かったので超古くから続く守矢家や諏訪上社に今でも奉納されている動物達の首がビッシリと飾ってある神長官守矢史料館に行ってきました。
その守矢家の家紋が、なんと丸十だったので史料館の館長に聞いてみたら、元々島津家は荘園時代にあの辺一体の荘園を持っていたそうで、その後一族をあげて薩摩の方へと移動していったそうです。ただ分家でしょうか、残った家もやはりあったようでその家紋だけが島津の名前とは別に残されたようです。
歴史好きの方の為に、この神長官守矢家(じんちょうかんもりや)の由来をお話しします。
古代から明治時代の初めまで、諏訪上社の神長官という役職を勤めてきた家柄だそうです。大祝諏訪氏(おおほうりすわ)は、現人神(生き神)であり、神長官をはじめとする、五官祝(ごかんのほうり)五つの家柄の方達がそうした役職を支えていたそうです。
古代の昔には、諏訪湖周辺には古代文明も栄えていたとのお話も聞いたことがありますので、現人神なんて家柄があるとするなら、その流れももしかしてあるのかなとも感じました。
史料館には、信玄や真田昌幸の書状などもあり歴史好きの私には興味津々でした。
その後、超見晴らしの良い場所で五色蕎麦を食べました。味は正直普通でしたが、揚げたての天ぷらは美味しかったです〜(笑)
そして、下山後は茅野市尖石縄文考古館へと向かいました。私は、もう大の縄文好きですので最高でした。ここには有名な土偶が2点ありますので実際に見れて本当に感激でした。
歴史が好き過ぎて、古美術の世界で20代の頃は修行してましたが、その雛形は子供の頃、普通に土器が出土する山があって、そこで遊びながら縄文式土器や弥生式土器などを掘って組み立てていたのが始まりです。また、貝塚の上に友達の家があってそこでも色々掘りましたね、畑からも昔の茶碗など掘り出しては集めてました。今では本当に懐かしい思い出です〜♪
とにかく縄文式土器のできが信じられないくらい素晴らしい!一万年前とはとても思えないです。ほんと縄文文化は凄いですよ!ちなみに、今、渋谷では「縄文にはまる人々」という多分ドキュメンタリータッチな映画の上映もされているみたいなので行ってみようかと思ってます。