お、おなら天皇?
Σ(・□・;)
また~、どえらい名前の天皇だな~
でも、まさかな~、それは無いよな~?
それに、そんな天皇っていたかなぁ~
仕事帰りの電車の中、疲労状態で吊り革に掴まって立っていた私は、ようやく席に座ることを許されて、目の前の空いた座席に感謝の気持ちとともに座った。
ありがたいな~、助かった~。
おじさん、ありがとう~!
♪( ´▽`)
座席に座ると、ひと呼吸整えてから私の前に座っている女性の過去世を何気に知覚してみた。
いつもの日課であり、また楽しみでもある「勝手に過去世拝見」を、ささっと始める。
色々と、自分なりに試しながら実験しながらの過去世拝見であり、内緒だが最近、私なりのまた新たなやり方を見つけて練習中なのである。
さっそく前に座っている女性の過去世の一つを見てみた。制限時間は降りる駅に到着する6分間…
おっ、なんか見えてきた、
これは、何か建物だな~、結構広い、
あっ、この建物は、Japaneseだな~、
立派な建物だけど、部屋の中には物が何も無いな、何か印象的に薄汚れている感じがする。寂しい感じもするな~
あっ、若い女性が部屋に入ってきた。
この人が、目の前に座っている女性の過去世の姿だな~、けっして派手ではないけど、質素なりにちゃんと髪の毛も服装も整えてるな、何か一般庶民の若い女性ではないな、ん~何だろうな~?
あ~そうか、物腰や立ち振る舞いが普通と違う感じなんだな~
なんだかここは、宮中御所の様な感じがするな、
どうも天皇の側に仕える女官のような感じがする。
すると、ある言葉がハートに聞こえてきた~✨✨✨
『 おなら天皇 』
ん~、歴史好きだが聞いたことがない、
!?(・_・;?
意識を整えてもう一度、問いかけてみると、『 後奈良天皇 』という言葉が浮かんできた。
後醍醐天皇や後白河法王、後鳥羽上皇など、名前に「 後 」が付く名前は、知っているが『 後奈良天皇 』は聞いたことがなかった。
でも後で調べてみよう、本当に存在しているのか楽しみだ~!
(((o(*゚▽゚*)o)))
なんて、思っていると宮中から火が吹いているヴィジョンが見えてきた。もう天井まで火が届いている、しかし先の部屋にはまだ火が届いていない、逃げようと思えばまだ逃げられる、一緒に宮中で働く仲間の女性が声を出してこっちに早く来い!と叫んでいる。しかしこの若い女性は何と火煙り渦巻く奥の部屋に、血相かいて走って行ってしまった。わっ、と思ったのも束の間、酷い咳をしながらまた戻って来た。もうその頃は部屋は火の海だ、手には角の丸まった四角い重厚なお盆を持っていた。そして、お盆の上には何か布で包まれた大事そうな物が乗せられていた。この女性に日頃から託されていた、とても大切な物であったようだ、しかし煙に巻かれ火に巻かれた女性は呼吸もままならず、ついにその場に倒れてしまった。そして無情にも上から落ちてきた大きな木の下敷きになってしまった…
と同時に、私も降りる駅に早くも着いてしまった。(。-_-。)
前に座っていた若い女性も、おもむろに立ち上がると私と同じ駅で降りて行った。
私は、その後ろ姿を見て驚いてしまった。
先ほどは気にもとめてなかったが、女性は上から下まで真っ黒な服装で、腕にまで黒いカバーで覆っていたのだ、全身真っ黒けっけである。まるで過去世の宮中での、あの出来事を連想せずにはいられない姿だった…
そして、後奈良天皇について調べてみるとやはりいましたよ~(^O^☆♪
戦国期に誕生した、第105代天皇で歴代天皇中、極貧NO1の天皇でした。
(⌒-⌒; )
どうりで部屋などに物がなく、建物などもくたびれた感じを受けたわけですね…
しかしこの後奈良天皇、極貧にもかかわらず中々魅力的な天皇であるので、少しご紹介したいと思います~☆彡
『 後奈良天皇 』
1497年にお生まれになり、1557年に崩御なさっているので、ちょうど室町末期から戦国時代のまっただ中を生きた帝です。この頃の日本にはもはや天皇領などはほとんどなくて貴族達の荘園や守護、守護代、下克上でなりあがった国人衆が蟠踞する土地ばかりでした。
この朝廷の財政逼迫は、103代後土御門天皇、104代後柏原天皇から引き継がれたもので、後土御門天皇に至っては葬儀の費用がなく、崩御された後、43日間も御所に遺体が安置されていたといわれてます。105代後奈良天皇も、天皇の位を先帝から受け継いで践祚したが、即位の礼を行うための費用に事欠いて10年後に即位の礼を行っています。
もっと凄いのは、104代後柏原天皇で、践祚後26年間資金不足で即位の礼が行われなかったというから凄まじい限りで、その後、105代後奈良天皇崩御の後、106代正親町天皇が践祚するが、これも費用不足で3年間の即位待ち。こちらは毛利元就の献金によってなんとか即位の礼には漕ぎ着けました。その後、どうにもこうにもいかない時に、織田信長公が現れて朝廷を支援し、なんとか朝廷の権威が復活しました。
ところで、天皇が自ら筆を取って字を書かれたものを宸筆とか宸翰といいますが、この宸筆の最多MVPが、第105代後奈良天皇であります。簡単にいうと、帝のアルバイトで、この宸筆を売って日々の糧にしていたそうです。一説にはザビエルがキリスト教布教のために京に上ったところ、御所の塀は崩れ去り、三条大橋から御所の灯りがチラチラと見えたという説すらあります。まさしく凄まじい貧乏ぶりです。
おまけに当時の戦国武将達は官位と引き換えになら朝廷への献金に応じるという者が多かったが、第105代後奈良天皇は献金と官位の引き換えを拒絶するなどの清廉な気骨も示したことでも知られています。そんな後奈良天皇は、疫病、洪水、戦乱、飢饉などが起こって民が苦しんでいるのをご覧になり、般若心経を写経して各国の一宮に奉納されたといいます。
「近頃、疾疫が民庶に流行し、憂患す。朕が不徳をも顧みず、寝ても覚めても心配である」
このように書かれて、民のことを心配するとともに、自分の不徳を痛む言葉も書き添えられています。当時は、人間の行為や政事(人事)と自然現象(天事)との間には密接な関係があると考える「天人相関」という考えがあり、後奈良天皇は「これだけ世が乱れるのは、帝としての己の不徳の致すところ」と責任を感じ、そのためにアルバイトの傍ら、せっせと般若心経を写経して陰徳を積み、その功徳によって世の太平を祈ったと考えられるのであります。
ちなみに、後奈良天皇は、当時の「なぞなぞ」を集めた「後奈良院御撰何曽」を出されています。今の「なぞなぞ」の元祖のようなものだそうです。
どうでしょう、中々魅力的な第105代天皇だと思いませんか~🎶
✨💐o(*゚▽゚*)o✨
意味はよく分かりませんが…
最後に、後奈良院御撰何曾之解より。
『 ともし火消なむとす 』
『 火をともし候そ御入さふらへ 』