黒澤明監督「生きる」を見た。

---あらすじ---
30年間無欠勤だったワタナベは胃がんにかかり余命が残り少ないことを知る。
今までをなんとなく過ごしてきたワタナベはひどく落ち込みパチンコや酒を飲んでダラダラと遊んで過ごす。
しかし遊んでも遊んでも楽しくない、悲しくなるばかりだった。
そこに同じ役所の後輩が退社願いをワタナベに届け出る。
後輩が転職していきいきと人生を過ごしている姿にワタナベはどうすればそんなに楽しそうに生きていけるのか?訊いたところ、後輩の「ただ一生懸命働いてるだけよ」といわれる。その言葉を聞いたワタナベは本来自分の管轄外の仕事である公園の建設に取り掛かった。苦労の後に公園は完成するが、後日ワタナベの凍死したワタナベの遺体が公園で見つかった。

ワタナベの葬式で、公園をつくったのは誰の功績か議論をされる。めいめい勝手に自分たちの功績だという輩もいた。
逆にワタナベのおかげだと反論する者もいた。そうこう議論しているうちにワタナベが胃がんを自覚しているのではないかとわかり、酒も入ったせいか必死に余生を生きたワタナベを賞賛する形でになる。しかし、葬式では「感動した!これからは死ぬ思いでがんばろう!!」といっていた者が後日困ってやってきた市民をたらい回しにしていた。それに憤りを感じるものもいたがのも事実だが結局、市民はたらい回しにされた。
ワタナベのつくった公園では大勢の子供たちが元気にジャングルジムやブランコで遊んでいた。
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他人が作ったもので感動できるというのは、それはすばらしいことである思う。
それは共感するという大事な感性だと思う。けれど自分で感動を作らないといけない。
なぜなら、他人のつくった感動体験ではすぐに忘れてしまうから。
人は忘れっぽいもので、どれだけ感動してもそれ忘れてしまう。
あれだけ好きだった人のことの、愛している人に対しての気持ちが変わることがあるんだから。

だから感動を継続するために、だから忘れないように胸に刻むためにも、自分で何か感動をつくるんだ!!

自分は実力ななくて、すごいものはつくれないかもしれない、
けれど小さな感動でもいいと思う。
プロセスが大事だとはあまりいいたくないけど、
やはり自分で作ることが、感動を与えてくれた人への恩返しになるんだと思う。
よく嫉妬するのはいけないことだといわれてるけど僕はそれが未だに理解できない。


多分他人と比較するということから嫉妬心は生まれるんだろうけど、僕には比較しないことができない。


自分には実力や才能があるとは思えないし、必死で努力するほどの根性もない。けど理由のないプライドを持っていて、自分はまだまだいけるはずと思い込んでる。自分のことが大好きなんだろうな。自己中人間。

でも今はそれでいい気がする。今、僕が無理に嫉妬しない術を身につけてしまうとそれを言い訳にしちゃって努力を怠りそうだ。だから今のままでいいと思う。
その内に嫌にも諦めさせられるだろうから。
ふと立ち止まって過去の自分を振り返ってみて、
昔と今の自分が変化しておらず、成長していないと感じる。
自分のなかでは新しいことにチャレンジしているつもりなのに。
過去の自分となんら変わっていない。

答えが出ないことに対して悩み続け、
同じことを何度も何度も考えては繰り返していく。
ちっとも前に進まない。

変わるのがこわいのか、めんどうなのか、

自己再生産を続けてる、
消費したもので、また同じものをつくる。
今までの自分を肯定し、堕落する。


変えることは難しいけれど、そんなんじゃダメだ!!
まだまだ若いんだから新しいことに挑戦しなくちゃ!!


とりあえず、今やりたいことをすべてやりきるくらいに必死に生きなければ。