「プロ10球団注目の140km左腕・福井」というネットでの記事を見つけた。
最近では、新聞やテレビなどでプロ野球の結果を確かめたり、甲子園での県代表校の勝ち負けを気にしたりするくらいで、とくに野球に関心を持っているわけでもなく、日々を過ごしている。
とりあえず、騒がれている投手が県大会でどこまで勝ち上がれるものか、そして、この秋のドラフトにほんとうに指名されるのかどうか、名前だけでも覚えておこうと読み進めた。
「プロ入り確実」などと騒がれたわりには、実際に指名されなかったことも多く、そんな意地のわるい見方もしながら読み始めたものの、ふと、球場に足を運んで、久しぶりに野球を観戦したい気持ちに変わってきた。

プロから注目されている投手の投げる姿を見てみたいという思い以上に、投手の学校が「丹生高校」とあったからで、高校に進学していない者にとって縁もゆかりもなく、親しい間柄の友人知人などにも出身者がいるわけでもなく、ただ、その学校の名前が子供のころの記憶を呼び覚ましてくれたからだった。

 

昭和40年代の田舎の小学生にとって、王、長嶋をはじめとするプロ野球はあこがれの的であって、最大の関心事であり、放課後になると、近所の公園で同級生をかき集めてソフトボールをやり、町内会対抗の大会も開かれ、野球やソフトボールは、身近な娯楽でもあり、最大の楽しみでもあった。
小学5年生の夏休み、一番親しかった友人の山田とともに、自転車に乗って、高校野球の県大会の開会式を見に行った。
県営球場のバックネット裏の屋根のある一番高い席に陣取り、開会式が終わり、開幕試合の始まるまで、トーナメント表や選手名の掲載された冊子を買って、山田とふたりでながめていた。
うしろに人の気配を感じて振り向くと、ユニフォーム姿の選手がふたり、立っていた。
何かのきっかけで話をするようになり、高校名と背番号を聞き、指でなぞりながら、「8番、しまだ選手」と答えると、「漢字が読めるんやなあ」とほめてくれた。
「10番は・・」と答えようとしたものの、一文字だけの苗字がまったく読めず、山田と顔を見合わせながら、「これは読めんなあ」とつぶやいた。
「アオイ」と10番の選手が教えてくれ、「初めて聞いた」などと二言三言言葉を交わし、試合を必ず見に行く約束をし、ふたりの選手が他の選手たちに合流して立ち去るのを見送った。

実際に出場している選手と話ができて、ふたりとも高揚感に包まれていたが、ふたりの思いは、もちろん丹生高校の全試合を応援しに行く決意で固まっていて、この先、どこまで勝ち上がれるか、予想した。
1回戦と2回戦は勝てるだろうが、準々決勝で対戦することになりそうな若狭高校が強敵で、ここを突破できれば、おぼろげながら夢の甲子園も見えてくる。
約束通り球場に行き、ダグアウト脇のコンクリートのフェンスに寄りかかって声を枯らして応援した甲斐もあって、予想通り1回戦と2回戦を勝ち上がり、ホームベースで対戦相手と試合後の挨拶が終わったあと、選手たちが引き上げてくる際に、大喜びしているふたり組の子供がチーム全員の目に留まったはずだ。
ベスト8に進出して迎えた大一番は、これまでの試合とは様相が一変し、丹生高校の打線は相手投手の前に三人ずつ片づけられ、完全に沈黙し、若狭高校打線は初回から猛攻を見せ、6回までに7点差をつけられていた。
7回表の攻撃で1点も取れなければ、コールド負けを喫する土俵際まで追い詰められていた。
先頭打者、二番打者と簡単に打ち取られ、三番は「我らのしまだ選手」が登場、完全試合を回避し、コールド負けをも免れる「ホームラン一撃」を期待し、ふたりの祈りを乗せた打席は、初球をいきなりセーフティバント、勢いの死んだ打球が投手の方向に、いまにも止まりそうに転がった。
思わず、「走れー」と絶叫し、絶妙のセーフティバントに対し、相手投手も虚を衝かれたのか、ダッシュが一瞬遅れ、渾身の送球よりもしまだ選手が一塁を駆け抜けるのが早かったように見えた。
「セーフ」とまたも絶叫し、初安打を喜び、ここから反撃開始と期待がふくらんだのも束の間、4番打者があっさり凡退して、呆気なく試合終了、山田とふたりで大きくため息をついた。
ものすごい脱力感に襲われたのだけは覚えているが、そのあとの記憶はまったくない。
ただ、甲子園に向かってひたむきに突き進む選手たちの後姿を追って、ともに夢を追いかけたという充足感と爽快感は味わうことができた気がしている。

 

四十数年ぶりに訪れた県営球場は、老朽化したこともあり、二度目の国体のために改築したと新聞で読んだように思えたが、子供のころの記憶と大きな違いは感じられなかった。
「プロ注目左腕」は、1回戦で17三振を奪って完封し、評判通りの好投を見せ、選抜大会で優勝経験のある強豪との対決となる2回戦が真価を問われる一戦となると目されていた。
強豪相手にも真っ向勝負を挑み、素人目にも好投手であるのは明らかであったものの、県代表クラスの打線には時折会心の当たりも放たれて、毎回のようにランナーを背負いながらも、どうにか踏ん張って、大量得点は許さなかった。
12安打を許し、1点ずつ小刻みに得点されて、4点を失い、味方の援護がなく、甲子園常連校に貫禄を示された形になってしまったが、素質をうかがわせる内容ではあったようだ。
高校野球に限らず、野球を球場で観戦するのは、子供のころ以来となったが、投手のナイスボールにうなったり、好プレーに思わず声が出たり、一投一打に胸が高鳴り、小学生のときに感じた熱い思いがよみがえってきた。
小学生のときには熱中していた野球観戦も、中学に入って興味を失い、取り立てて何をするというわけでもなく、中学を出てそりの合わなかった親元を離れ、社会の底辺近くで働きつづけて、何事もなさずに年齢ばかりを重ねてきてしまったが、あのとき、もっとましな選択をしておけばよかったという後悔と、こうなるべくしてこうなったのだという諦めとが胸のうちで渦を巻く。
高校に進学して、野球であれ、勉強であれ、何かに打ち込んでいれば、などと考えたところで、自分の人生が明るくなるものではなく、打ち込んでいる人をうらやんだところで、自分の人生がどうにかなるものではないが、若くして、打ち込める対象に出合えた人は幸せだと思う。

たとえ、結果がどうあれ、努力した日々は人生の糧になるだろう。
何の才能もなく、何の努力もせず、流されるまま生きてきてしまい、人生の残り時間が少なくなってから自分の人生が空っぽであったと気づいても、もはや何も取り戻せるものはない。
せめて、子供のころに好きだった野球を見て、ささやかな楽しみを見出したいと思えてきた。
プロ野球選手を目指す高校生の道は、有望ではあるが、高く険しい。
精進して、夢をつかみ取ってほしいものだと願わずにはいられないが、それを楽しみに見ている分には、大した努力は必要ないのだ。
生活が破綻しない程度に働いて、スポーツ新聞を読んだり、ネットの記事を読んだり、ひまを見つけては球場に出掛けるだけでいいのだから。
骨の髄まで凡人は、子供のころから見る側であったし、気楽な道を歩んできたのだ。

    (これはある選考に向けて書いた文章です。事実そのものではありません)