


石棒は、かなり露骨に作り込まれていますが、「芸術」というのは、やはり日々の暮らしの中にあるものを題材とし、普段考えていること、日頃気にかけていることが動機となって表現されることを考え合わせれば、男女の性愛であったり、家族愛であったり、亡くなった人への思慕であったりを昇華して、日用品である土器に表現しようとするのは至極当然のように思われてきます。
土偶は、女性を思わせる体型と、乳房と突き出た腹が特徴的なことから、「懐妊」と「出産」を表しているという見方には大いに納得でき、そこに、「子孫繁栄」や「五穀豊穣」などへの祈りを読み込むことも可能であろうと思われますが、まずは、男と女が仲睦まじくすることが求められ、そこを基盤にムラの営みがあり、子供ができて労働力が増し、食糧増産につながり、ムラ全体の安定につながって行ったはずであって、子供は将来の希望であるとともに、ムラの力が増強される現実的な利益でもあったと思われます。
土器の細部にあるヘビをかたどった突起や模様が男性の象徴であり、それを包み込むように葉っぱ状のふくらみがあったり、円形に刻まれた模様に接していたりして、「そうだろうと思い込んで見ればそう見える」のかも知れませんが、現代的な発想をすれば、少なくともエロティックな表現のようには見えました。
ほんとうのところは、作者に訊ねてみるしかなく、それが不可能であるがために、でたらめを口走っても、「そういう感想を勝手に持ったわけね」と軽んじられてしまうだけですんでしまうことに救われていますが、いのちの躍動を力強く表現し、うねりながら独特の文様を描くのには、何かしらの意図があり、思いを伝えようとしていたはずであり、全体から受ける印象が「生命力の力強さ」であって、細部に「生きる喜び」が表現されていて、そのように表現されていると見るのであれば、「喜び」の源である「男女の性愛」を「芸術」に昇華して、記号化して刻み込んでくるのは自然な流れと考えられて、いのちをつなぐ食料を煮炊きしたり、貯蔵したりできる土器に「生きる喜び」を託し、日々見つめるということでも生きる糧にしたのではないか、と思われました。