


当然、世間に知られていない競技であっても、そこに人生の一時期を注ぎ込み、情熱を燃やし、全身全霊を傾けて取り組んだ果てに見えてくる世界があり、その景色は、たどり着いた者にしかわからない桃源郷であろうとは想像するものの、実際のところは、新聞や雑誌を読んでも、かりに選手の話をじかに聞く機会に恵まれたとしても、わかるなどということはまずないだろう。
「スローカーブを、もう一球」は、8つの物語からなる短編集だが、ある競技者がある一場面において、積み重ねてきた努力のすべてを、まるで人生そのものをぶつけるかのように、一瞬の火花を散らし、その光と影に焦点を絞って、冷静に振り返り、時に俯瞰し、時にクローズアップして、淡々と再現ドラマを繰り広げて再構成し、見る者は感動を覚えるのみであっても、競技をする者にとっては、渦中にあった時を振り返っても、無の境地はもはや遠くに過ぎ去っていて、手ごたえや心情を思い返したとしても、適切に表現する言葉を探しあぐねるばかりかもしれない。
8編の中で、唯一、世間で知られている「有名」な選手といえそうな「江夏の21球」は、1979年11月4日に大阪球場で行われたプロ野球日本シリーズ第7戦、近鉄バファローズ対広島東洋カープにおいて、広島が4-3と1点リードで迎えた9回裏、近鉄が反撃し、一死満塁のチャンスをつくり、マウンド上の「優勝請負人」江夏豊がここを抑えれば球団にとって初の日本一が決まる場面で、打者・石渡に対して、この回19球目となるカーブを投じたところから始まり、21球目を空振りするところで物語は幕を閉じるが、時は行きつ戻りつし、勝負の行方も揺れ動き、監督や選手の心情や思惑もたゆたいながら、必ず訪れる終幕に向かって流れる空気はきわめて濃密であり、息をのみ、歓声が沸き、2万5千の観衆はスポットライトのようにマウンドに仁王立ちする江夏に注ぎ込まれ、江夏の投球に支配された空間はさながら宗教儀式のようであって、19球目がバットの下をくぐり、捕手・水沼のミットに収まった時が運命の決定された瞬間であり、死力を尽くした攻防は、波が引くように幕を下ろし始め、なおも二死二、三塁と一打逆転のチャンスがつづいているのにも関わらず、落胆した石渡には気力がもはや失われ、近鉄ベンチからは生気が失せ、江夏の投球術にしてやられたのだった。
読売ジャイアンツや阪神タイガースといった全国区の人気を誇るチームが出場せず、当時のパリーグはスタンドに閑古鳥が鳴く不人気球団揃いであって、近鉄対広島という両チームとも局所的な人気があるものの、多くの野球ファンは待ち望んでいなかったカードが実現し、試合経過を速報して売上を伸ばしたい夕刊紙関係者は大いに嘆き悲しみ、関東のファンにとってはオープン戦か消化試合の感覚で眺めていたゲームが、3勝3敗となり、互いに本拠地で勝つシリーズであったために、名将・西本幸雄の初の日本一という悲願が達成されるかどうか、くらいしか盛り上げようのなかった第7戦で、土壇場に野球史に残るドラマが待ち受けていようとは、「スポーツは筋書きのないドラマ」という使い古されたフレーズが思い起こされ、「勝負は下駄をはいて家に帰って風呂に入るまでわからない」という長嶋茂雄の名言が心に染み入ってきて、野球の見方、楽しみ方、さらにはスポーツの見方、楽しみ方の幅を押し広げ、奥行きの深さを示した山際淳司は、ブルーオーシャンをきらめきを放ちながら突き進んで、世界の広さを身をもって知らしめたと思えてきます。